浅利慶太さん逝く 演劇界の巨星、昨年9月から闘病…最後まで舞台に意欲

 亡くなった浅利慶太さん=今年3月撮影
 ミュージカル「キャッツ」の俳優たちと浅利慶太さん(左端)=2004年7月、東京都内のホテル
2枚

 劇団四季の創設メンバーで、「キャッツ」「ラインオンキング」などを手がけた演出家・浅利慶太さんが、悪性リンパ腫のため13日午後5時33分、東京都港区の病院で死去したことが18日、分かった。85歳だった。浅利氏の事務所と劇団四季が連名ファクスで発表した。浅利氏は劇団四季の初代代表として、ミュージカル「キャッツ」で日本初のロングラン公演に成功。日本にミュージカルを根付かせた。1998年には長野五輪の総合プロデューサーを務めるなど、幅広く活躍していた。

 日本演劇界をリードしてきた希代の名プロデューサー・演出家が、静かにこの世を去った。

 事務所関係者によると、浅利氏は昨年9月に悪性リンパ腫と診断され、都内の病院に入院。その後は入退院を繰り返しながら、投薬治療とリハビリを並行しながら闘病してきた。病が発覚してからも舞台に情熱を燃やし続け、3カ月後の12月には、東京・自由劇場で上演された舞台「この生命誰のもの」の演出を担当。関係者は「その当時は、病気のことも忘れたようにお元気でした」と振り返った。

 今年4月には自由劇場で上演された「ミュージカル李香蘭」の企画・構成・演出を担当。この際は体調を崩しており、妻で同作に出演した女優・野村玲子(56)らにサポートされながら務めた。この舞台が、演出家として携わった最後の作品となった。

 その後、体調が一時的に回復。9月に上演する舞台「アンドロマック」のプロデューサーを務めることが決まっていたため、事務所にも毎日のように姿を見せていたが、6月に体調が急激に悪化して入院。そのまま帰らぬ人となった。

 浅利氏は慶応大在学中の1953年、故・日下武史氏らと10人で劇団四季を創設し、初代代表に就任。83年に初演されたミュージカル「キャッツ」では、日本初のロングラン公演を成功させ、興行の新形式を作り上げた。同作以外にも多くの名作を送り出し、日本にミュージカル文化を定着させた。

 98年長野冬季五輪では総合プロデューサーを務め、派手な和装の伊藤みどりさんを乗せた台がせり上がって聖火台に点火する開会式の演出も注目された。

 14年に劇団四季を退社し、その後は個人事務所で活動していた。

 通夜、葬儀は親族のみで行い、「アンドロ-」公演終了後に、お別れの会が催される。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

芸能最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス