【悼む】樹木希林さん 離婚騒動後も見えた-“2人の絆”
女優の樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子=うちだ・けいこ)さんが、15日午前2時45分に東京都渋谷区の自宅で死去していたことが16日、分かった。75歳。詳しい死因は不明。樹木さんは1961年に悠木千帆の芸名で女優デビューし、独特の存在感が光る個性的な演技で数々の賞を獲得。2005年には乳がんの手術を受け、13年には全身がんを告白するなど、長い闘病生活を送っていた。通夜は16日に自宅で行われ、葬儀・告別式は30日に東京・光林寺で営まれる。
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樹木希林さんと初めて会ったのは2002年、連載の取材。東京は麻布の自社ビルのレストラン。
実はこの人、怖かった。どこから何が出てくるか分からない。斬られる前に一太刀斬り込む術を散々考えあぐねた末、30分間喋(しゃべ)りまくった。
「そう、大変だったのね。私も大変だったけど、そう…」。ここで希林さん、カメラマンを呼んで「あなた、もう帰っていいわよ、お忙しいんでしょ。お仕事」。
「私、裕也(旦那)とね、この秋、軽井沢へ一週間行ってきたの。で、帰りに新幹線の軽井沢駅である人とばったり出会ったの。誰だと思う?」
「……」
「2人の間で離婚騒動があったでしょ、そのときの私の弁護士。裕也と2人がね、手を握ったの」
ちなみに裁判は希林さんに軍配。「帰りの新幹線でね、裕也が“別れなくて良かったな”と言ってくれたの」
このとき、希林さんのほほに一瞬、赤みが差した。「ところで坂本さん、あなたから見て私はどう映りますか?」と刃が返ってきた。
「そうですね、毒ですね」。これまではそうとしか私には見えなかった。
「今日は日曜日だからワイン、飲みましょうか?赤、白?」
正直、16年前の樹木希林に代表作は浮かばなかった。「あのね、これからの私、見ていてくださる。分かった?」。それからしばらくして、映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』でアッと言わせた。毒を丸のみした人間・樹木希林が表れた。
乳がんが全身に、目は片方見えない。「アハハハハハ…」と笑い飛ばす。
「希林さん、今度、私がワインをおごるからね」(デイリースポーツOB・坂本昌昭)