浅利慶太さんミュージカル葬 四季劇団員300人「コーラスライン」劇中歌を献歌

 劇団四季の創設者で、7月13日に悪性リンパ腫のため85歳で死去した演出家・浅利慶太さんのお別れの会が18日、東京・帝国ホテルで開かれた。会には俳優の市村正親(69)ら、関係者約1300人が参列。祭壇は浅利さんの初演出作品をモチーフに作られ、ミュージカル「コーラスライン」の劇中歌が四季の劇団員300人によって献歌されるなど、日本演劇界の“革命児”を送るにふさわしいミュージカル葬となった。

 ミュージカルを愛し、ミュージカルに愛された浅利さんを送る、荘厳な“音楽劇”だった。劇団四季のホームである東京・浜松町の自由劇場で開演前に鳴らす銅鑼(どら)の音で開会。続いてオーケストラによる「ヨハネ伝」の演奏がささげられた。

 さらに、浅利さんが1979年の日本初演を手掛けたブロードウェーミュージカルの傑作「コーラスライン」から、劇中歌「愛した日々に悔いはない」を、劇団員300人が高らかに歌唱。在りし日の浅利さんを思い出したのか、涙を流す参列客も目立った。

 祭壇は、慶応義塾高校演劇部時代に初めて演出を手掛けた舞台「我が心高原に」がモチーフ。約1万8000本の花で高原のゆるやかな傾斜を表現し、上には劇団四季の公式マークに採用されているハープが設置された。

 会の終盤には、親族を代表し、妻で女優の野村玲子(57=本名・浅利玲子)があいさつ。「主人は役者の新しい才能を見いだし、その成長する姿を見ては、いつも目を細めて喜んでおりました。そのまなざしは20歳で劇団を創立したその当時から少しも変わらない、純粋な演劇青年の瞳そのものだったように思います」と言葉を絞り出すと、こらえきれず落涙。会場からも、すすり泣く声が漏れた。

 浅利さんは1953年に劇団四季を結成後、多くの海外ミュージカル作品を上演。また、専用劇場でロングラン公演を行うシステムを確立し、日本に興行としてのミュージカルを根付かせた。その他、長野冬季五輪の開閉会式の総合プロデューサーや、「教育再生会議」の有識者メンバーも務めた。

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