樹木希林さん 奇妙で強固な夫婦愛…内田裕也の曲で旅立ち
15日に乳がんを起因としたがんの全身転移で亡くなった、女優の樹木希林さん(本名・内田啓子、享年75)の葬儀が30日、内田家の墓がある東京・麻布の光林寺で営まれ、1500人が参列した。樹木さんの長女、内田也哉子(42)の夫で俳優の本木雅弘(52)は悲報後、初めて報道陣の取材に応じ、今春に余命宣告を受けてから“終活”を始めた樹木さんの最後の半年間を説明。也哉子がロックミュージシャンの父、内田裕也(78)のラブレター秘話を明かすなど、40年以上の別居婚を続けてきた奇妙な夫婦の愛の深さを浮き彫りにした。
日本一ロックな夫婦の奇妙ながらも強固な愛が明かされた。
取材に応じた本木によると、樹木さんは今年春ごろ、医師から「1年、もつかもたないか。場合によっては、2~3カ月ということもある」と余命宣告された。そこから、大好きだったこの日の会場・光林寺で葬儀を開けるか下見に行くなど“終活”を開始。一方で家族には「自然に朽ちていきたい」と延命治療は必要ない旨を伝え、自然体を求めたという。裕也には余命宣告されたことは知らせなかった。
入院していた最後の1カ月はつながれた管が多く、家に帰ることができなかった。看護師に呼ばれた本木は「(樹木さんが)毎晩、『裕也さんに会いたい』とおっしゃってますよ」と告げられたという。その後、樹木さんが虫の知らせのように「私、帰るの」と言い、自宅に戻った日に眠るように亡くなった。
最期は孫たちが手を握り、也哉子が話しかけ、本木はスマホで裕也の声を聞かせた。裕也が「しっかりしろ!!」と叫ぶ度に、樹木さんに反応があったという。火葬場で樹木さんが荼毘(だび)に付された後、裕也がアゴの骨を拾い、ハンカチに包んでポケットにしまったことも明かした。
離ればなれでも心で結ばれていた夫婦の別れ際に、本木は「ダイヤモンドの原石のように計り知れない純粋さを持っていると同時に、2人にしかわからない情の認め合い方があった」とうなずいた。
戒名は「希鏡啓心大姉(ききょうけいしんだいし)」。芸名と本名から1文字ずつ、鏡には「役者は人の心を映す鏡」という樹木さんの哲学が反映された。本木と也哉子が考えたという。葬儀の最後には、かねて樹木さんが「死ぬときは、この歌で送り出してほしい」と希望していた裕也の「朝日のあたる家」が流れ、天国へと旅立った。