山本浩之アナ 大学で同級生女子と運命の出会い、アナウンサー志すきっかけに
山本浩之アナウンサー(56)ほど“芸風”の振れ幅が大きいアナウンサーも少ないのではないだろうか。芸人とまじって一歩も引かずに「ハゲハゲビーム!」と頭から光線を発射するかと思えば、終始真面目な顔で選挙特番のメインキャスターも務める。アナウンサーになった経緯を尋ねると偶然の杖のひと振りに動かされたようでもあり、しかるべく存在に導かれたようにも見える。アナウンサー「ヤマヒロ」が誕生したのは1人の女性のおかげだった。
-アナウンサーになったきっかけは。
アナウンサーになろう、勉強しようと思ったのは大学3年生のときです。みんな就職活動を始めて僕もなんかせなあかんと思ってたときに同級生の女の子が大阪のアナウンス教室に通っていると聞いて行くようになりました。アナウンサーになりたいと強く思っていたわけではないんです。そんな教室があるのかと思って一度のぞいてみようと。大阪の「生田教室」といいまして。先輩でいうとMBSでは角淳一さん、野村啓二さん、ABCだったら乾浩明さんとか、そうそうたるOBがいました。
-発声とか。
発声から始まりました。僕は堺で生まれて泉佐野で育ちました。親戚もすべて泉州地方の人間です。まあ、言ってみたら言葉の非常に上品なところですから(笑)。そういうきっかけで勉強を始めましたが、子供のころからアナウンサーという仕事に興味があったことはあったんです。例えば、テレビで阪神戦の中継をやっていると音量をゼロにして映像を見ながらピッチャー投げました、バッター打ちましたとアナウンサーのまねごとをやっていました。中学時代です。
-話すことが好きになるきっかけがあった。
最初のきっかけは小学校5年生のときです。国語の授業で本読みをするんです。クラス全員が1人ずつ。自分が読む以外のときは机に伏せて目を閉じて耳だけで朗読している人に集中するんです。読み終えたら先生が「今、だれだれさんの本読みを良かったと思う人」って聞くんです。良かったと思ったら生徒は手を上げる。僕の順番が来て読みました。終わって先生が「山本君の本読みどうでしたか」って聞いたら全員の手が上がったんです。良かったと評価してくれた。担任の先生が授業が終わってから「全員の手が上がったのは山本君だけやったよ」とこっそり教えてくれたんです。それを聞いて「おおっ」と思った。それがアナウンサーになりたいというか、アナウンサーを意識した最初のことです。
-その後はあまり考えなかった。
そうですね。アナウンサーになりたいと強く思っていたら大学入学後に放送部に入ったと思うんですけど入ってないです。だからそれほど強く思っていたわけじゃない。中学高校時代からギターばかりひいてました。友達と一緒にプロになろうって。でも、大学3年生になってさすがに就職を意識したときに、小中学時代のことを思い出してアナウンサーに興味あるなと。
-もし大学3年生のときにアナウンス教室に通っていた同級生の女性と出会っていなかったら。
ええ、アナウンサーになってなかったと思います。そこまでアナウンサーになりたいと思ってなかったんでね。たまたまそういうきっかけがあったんで。
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山本浩之(やまもと・ひろゆき)1962年大阪府堺市生まれ。85年関西テレビ入社。90年から7年間ニュース番組「アタック600」のメーンキャスター。02年FNSアナウンス大賞受賞。06年から「スーパーニュースアンカー」のメーンキャスター。13年にフリー。MBSラジオ「ヤマヒロのぴかいちラジオ」で日本民間放送連盟賞生ワイド番組部門で最優秀賞受賞。出演番組にMBSテレビ「ちちんぷいぷい」(月から木、後1時55分)。関西テレビ「ちゃちゃ入れマンデー」(火曜、後7時)、MBSラジオ「ヤマヒロのぴかいちラジオ」(金曜、後9時)、同「茶屋町ヤマヒロ会議」(日曜、前10時)。家族は妻と3人の息子。生放送でカツラをとって大きな話題を集める。趣味はギター。