ジュディ・オング 人生懸けた覚悟と秀樹さんとの友情…79年レコ大秘話告白

 12月30日に発表される「日本レコード大賞」(主催・日本作曲家協会、放送はTBS系で午後5時30分から)は、今年で第60回。昭和で30回、平成で30回の開催となり、大きな節目を迎えた。デイリースポーツでは史上空前のハイレベルな大賞争いと語り継がれる1979年にスポットを当て、「魅せられて」で大賞を獲得したジュディ・オング(68)が激戦を制した覚悟とライバルへの思いを語った。

  ◇  ◇

 「関白宣言」「ビューティフル・ネーム」「しなやかに歌って」「舟唄」…。今でもタイトルを聞くだけで口ずさめる大賞候補曲たちを眺めながら、ジュディがつぶやいた。

 「当時の楽曲は本当にすごかった。全部の曲が粒立って、メロディーとメッセージを、これでもかと落としこんでいた」

 並み居る強敵を退け、栄冠をつかんだ「魅せられて」。ジュディにも“絶対に負けられない戦い”だった。

 「ただのレコード大賞じゃなかった。私自身、人生の選択をした。あの年の12月31日は、自分が歩いてきた道は間違っていなかったと、確かめなくてはならない1日だった」

 大きな仕事が決まっていた。しかし、2月に発売した新曲がヒット。年末が見えだした。

 「夏を過ぎたころ。私は映画『将軍 SHOGUN』に出演することが決まっていました。米国のパラマウントで衣装合わせまでしていた。でも『魅せられて』のヒットと重なって、どうしても、決まっていたショーと時間が重なる。それで、プレス発表の日に降板が決まったんです」

 後に同作はゴールデングローブ賞を獲得。ジュディが演じるはずだったヒロインを演じた島田陽子(65)は、同作をきっかけに国際女優として羽ばたいていく。大きなチャンスを手放して臨んだ大みそかの決戦。誰よりも思いは強かった。

 立ちはだかったのが西城秀樹さんだった。同年「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を大ヒットさせ、前哨戦の日本歌謡大賞などを獲得していたが、同曲はカバー曲のため、レコ大は「勇気があれば」で“エントリー”していた。それでもお互い、79年の「歌謡界の顔」を決める勝負を譲る気はなかった。

 「ほかのみなさんが途中から歌唱賞や企画賞に狙いを変える中、秀樹は最後まで戦っていた。でも私、秀樹とは仲良しですから、戦うのは嫌だった。ディレクターから『仲良くしたらダメ。目をむくくらいにならないと』と怒られました」。

 一騎打ちムードとなり、当日、司会の高橋圭三さんが読み上げた名前はジュディだった。驚き、立ち上がり、足元がおぼつかない歌姫を支えた人物がいた。

 「発表されて、フラフラしながらステージに向かった。そんな私の肘をスッととる人がいた。見たら秀樹。『大丈夫?』と言いながら、ステージまでエスコートしてくれた。あとでお礼を言ったら、『あのとき、僕が獲れなかったら、ジュディをエスコートしようと決めていたんだ』って。男・西城秀樹、かっこいい男でした」

 今年、「YOUNG MAN」と同じ、カバー曲の「U.S.A.」(DA PUMP)が、大賞の有力候補に上がったことが、話題となっている。あの年、秀樹さんと競い合ったジュディはどう見るのか。

 「39年前とは、音楽の存在自体が変わってきた。当時は、商店街にスピーカーがついていて、万人が同じ楽曲を聞いていた。今は配信された曲をイヤホンで一人一人が聴く。でもそれが新しい時代。前例にとらわれるのはダメだと思います。こんなこと言ったら、頑張った秀樹に怒られちゃうかしら」

 ◆ジュディ・オング 1950年1月24日、中華民国台北市生まれ。上智大卒。幼少期に訪日。61年に映画「大津波」でデビュー。66年には「星と恋したい」で歌手デビューした。79年に「魅せられて」でNHK「紅白歌合戦」にも初出場した。当時の衣装は、スクリーンドレスで「当初はエーゲ海を映す予定だったが、間に合わなかった」という。今年12月に初のジャズアルバム「Always」を発売。19年1月26日に東京・コットンクラブでバースデーライブを行う。版画家としても活躍。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

芸能最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス