市原さん葬儀 初主演作の恩地監督が弔辞「どうせ私は不美人よ」
12日に心不全のため亡くなった女優・市原悦子さん(享年82)の葬儀・告別式が18日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、中尾彬(76)と池波志乃(63)夫婦や電撃ネットワークの南部虎弾(67)、林遣都(28)らが参列した。市原さんの初主演映画「蕨野行(わらびのこう)」(2003年公開)のメガホンを執った恩地日出夫監督(85)が弔辞を述べ、生前のエピソードを披露した。
市原さんが「太った芸者」役でワンシーンだけ出演している1957年公開の映画「雪国」で初めて顔を合わせたといい「助監督がタオルを巻いたり、一生懸命、太らせようとしていた。原節子さんを始め美人女優ばかりの撮影所に食傷気味だったので、こんな女優さんもいるんだと思いました」と回顧。後年、市原さん本人にこの話を伝えると「どうせ私は不美人よ」と笑っていたという。
恩地監督は「今考えると失礼なことを言っていたんだなと思います」と振り返りつつ、自身の作品に欠かせなかった市原さんの存在の大きさに言及。79年のドラマ「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」で歌手の泉谷しげる(70)を俳優デビューさせた当時について「相手が市原さんに決まっていなければ、彼を使う勇気はなかった」と明かした。