桑名晴子インタビュー(中)メジャーから「生の声が聴こえる歌の旅」へ
シンガー・ソングライターの桑名晴子(62)が昨年、デビュー40周年を迎え、12月12日には現在、名盤として評価されているデビューアルバム「ミリオン・スターズ」のアナログ盤が復刻された。現在はギターを抱えて日本中でライブを行っている桑名が、来し方と行く末を語るインタビュー。中編では、メジャーを離れて弾き語りの旅を始めるようになった理由を明かす。
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桑名がメジャーを離れたのは「気付いたら30歳」の1986年だ。背景には「レコードがCDになっていって、アナログのいい感じの音楽がどんどんデジタルに変化していって、自分が求めている音楽性と違うなって」という、音楽業界の技術的な変化があった。
「メジャーでやってた頃はめちゃくちゃ忙しかった。週4本くらいレギュラーがあったり、知らないうちにコンサートが決まっていたり。若いながら一つ一つのことを丁寧にできなかったのがいやだった」という環境にも限界を感じていた。
「自分のやりたい音楽をやりたくて」という思いが募ってメジャーを離れた桑名は、「もう1回ギターを持って、弾き語りしながら歌の旅をしよう」と考え、「渋谷の道玄坂のヤマハで、ありったけのお金を持って一番安いギターをくださいって」と、原点に還るべくギターを購入した。
そのギターを持って歩いていたところ、正博さんの盟友で、自身も「14~15歳の時から知り合い」のシンガー・ソングライター、下田逸郎(70)と「偶然、再会」する。桑名さんと「月のあかり」や「夜の海」といった名曲を共作し、プロデューサーも務めていた下田は「お前、何してんだ?」と声をかけ、「旅に出ないか」といざない、2人でツアー「ふたつの舟」に出ることになる。
下田からは「日本中、生の声が聞こえる、アナログな距離でライブできるライブハウス」も紹介してもらい、「あちこちで歌わせてくださいってやり出して」と、1人でもライブを始めた。
住環境も変えた。「海の見えるところに住むのが幼い時からの夢」だったという桑名は、「富士山を眺められる湘南の方」、神奈川県藤沢市の「高台のアパート」に転居。そこでは「何十曲って曲を作って」いたという。
「メジャーを止めてもとのスタイルのギター1本で弾き語りしながら、生の声を聞こえるようなアンプラグド、アナログな歌の旅を始めたんです」
インディペンデント・レーベルを設立し、ソロアルバムを制作。下田ともデュオでアルバム「ふたつの舟」をリリースした。「小さい会社を作ってインディレーベルで4枚、自分で作って、手渡しで販売しながら北は宗谷岬、南は波照間、西表島まで」という、音楽の旅を始めた。
当初は「メジャーを辞めた人が来てくれる」と観客も多かったが、「何周かすると減ってくる」と、観客の減少に直面する。それでも、「負けずにオリジナル曲を作りながら」旅を続けた。
インターネットも携帯電話もまだまだ普及していない時代。桑名は「北海道のアンダーグラウンドの状況を沖縄で話しながら歌って、沖縄の音楽、アンダーグラウンドの状況を名古屋に行ってしゃべったり、伝書鳩のように色んな状況を伝えながら歌って」いく。
そんな旅暮らしの中で、「各地で、そこのエリアだけで起きている事件がある」ことに気付くようになる。(後編に続く)
【今後のライブ予定】
◇2月16日 タルマッシュ(東京・西大井)
◇2月22日 コーナーストーン・バー(大阪・南堀江)
