佐藤純彌監督逝く 「新幹線大爆破」「人間の証明」など手掛けた昭和の巨匠
映画「新幹線大爆破」「人間の証明」「男たちの大和/YAMATO」などのメガホンを取った映画監督の佐藤純彌さんが、9日午後11時、多臓器不全による衰弱のため都内の自宅で死去していたことが17日、分かった。86歳。東映が発表した。葬儀・告別式は、同日、都内の斎場で親族のみで執り行った。喪主は長男・東弥(とうや)氏。中国の奥地やシベリアなどでも撮影を行い“極地監督”と呼ばれた名物監督。2014年から15年にかけて、デイリースポーツでコラム「ぶらりシネマ旅」を手がけた。
日本国内のみならず、世界でもその手腕を高く評価されていた巨匠が、静かにこの世を去っていた。
佐藤監督は3年前、胃がんを患い医師から入院を勧められていたが拒否し、自宅で療養していた。今年1月19日には、東映東京撮影所OBによる恒例のマージャン大会に参加し、元気な姿を見せていたが、その後体調が急変。9日に、家族に見守られて息を引き取った。
年始に会ったという関係者は「やせてましたね」と振り返った。佐藤監督はヘビースモーカーとして知られており、亡くなる前日の8日にもたばこを吸っていたという。
佐藤監督は東京大学を卒業後、1958年に東映東京撮影所に助監督として入社。63年の監督デビュー作「陸軍残虐物語」で、ブルーリボン賞の新人賞を受賞した。
その後はやくざ映画を中心にキャリアを構築。75年の「新幹線大爆破」は、国鉄(当時)の協力が得られなかったものの、「時速80キロ以下になると爆弾が爆発する」という卓越したアイデアで国内よりも海外で高く評価されている。76年の「君よ憤怒の河を渉れ」は、中国で大ヒットを記録した。
その後は、角川春樹氏(77)とのタッグで「人間の証明」(77年)、「野性の証明」(78年)を制作。日中合作「未完の対局」(82年)はモントリオール世界映画祭でグランプリに輝いた。86年の「植村直己物語」ではカナダの北極圏で、92年の「おろしや国酔夢譚」ではシベリアでロケを敢行。困難な地域での撮影を行う「極地監督」とも称された。
「敦煌」(88年)では第12回日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞。08年には旭日小綬章を受章した。10年の大沢たかお(50)主演の「桜田門外ノ変」が遺作となった。