ピエール瀧容疑者が明かしていた阪神入団テストの思い出
ピエール瀧容疑者の逮捕を受けて、5年前の夜を思い出した。2014年2月11日、都内で行われたブルーリボン賞授賞式後のパーティー。映画「凶悪」などで助演男優賞を受賞した瀧に対し、以前から気になっていた話を個別に聞いたのだ。彼が高校球児だった時に阪神の入団テストを受験したという話だ。
瀧は静岡県立静岡東高時代、野球部に所属していた。ポジションは一塁手で、5、6番を打っていたという。「3年生の夏、静岡県予選3回戦で両チーム32安打の乱打戦の末に負けました。ファーストゴロが顔面に当たって痛かったのが最後の思い出です」。懐かしそうに振り返った。
その試合の映像は今もYouTubeで閲覧できる。静岡県予選の3回戦・静岡西高戦に6番ファーストで出場した瀧が初回に中越え適時二塁打を放ち、二塁ベース上でガッツポーズをするシーンだ。また、スクイズを外され、右打席からバットを飛ばして、体が宙に浮いた瞬間の写真が掲載された地元の新聞紙面の画像もSNSに投稿されている。
そして、阪神の入団テストを受けた動機を聞いた。瀧は「入団テストが甲子園球場だったからです。高校生の間に甲子園の土を踏みたいがために受けました。“思い出づくり”です」と明かした。
さらに詳細も語った。「1次テストはパスしたんです。遠投で80メートル、50メートル走が7秒5だったかな。野球をやっていれば、それくらいは(笑)。それでバッターボックスに立って打つことができた。やれることはやったと」。不合格だったが、甲子園でバットを振るという悲願は果たした。
阪神が掛布、バース、岡田の強力クリーンアップを擁して日本一に輝いた1985年のことだ。瀧が気になっていた選手は佐野仙好(のりよし)外野手(現・統括スカウト)だったという。「6番に佐野(仙好)がいるからいい、みたいな。6番だからこそ、という」。いぶし銀の名脇役を自身の指針とした。それは、俳優としてのスタンスにも通底していると感じていた。
ちなみに阪神ファンなのかと尋ねると、瀧は「ファンではないです。でも、やっぱり阪神がセ・リーグで1番、気になる」と微妙な立ち位置を説いた。当時、右肘関節炎のため宜野座キャンプを一時離脱していた西岡剛内野手(現・BC栃木)の存在を念頭に、「西岡選手のケガ、大丈夫ですかね?」と記者に質問してきたのも瀧。「阪神ファンじゃないですか」と突っ込んでも、瀧は「いや、そういうわけではないです」と、はにかんだ。
自分の属性を固定すると遊び心をなくしてしまう。そんなスタンスはジャンルを越境した活動にも感じた。
85年夏の甲子園で全国制覇を遂げたPL学園のKKコンビは瀧と同学年。「雲の上の存在だった」という。それを意識したのかどうか、瀧が率いる草野球チームの名は「ピエール学園」だった。
それから5年、このような事態になったことは本当に残念だ。法の裁きを受けることになる同容疑者だが、そんな一面もあったのだという事実も伝えておきたい。(デイリースポーツ・北村泰介)