崔洋一監督 内田裕也さん弔問 別れを「うまく言葉にできない…」と涙ぐむ
ロック歌手の内田裕也さんが17日午前5時33分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。79歳。昨夏放送された密着ドキュメンタリー「転がる魂・内田裕也 ザ・ノンフィクション」を監督した映画監督・崔洋一氏(69)が18日、東京・渋谷の裕也さんの自宅マンションを弔問に訪れた。崔氏は「私のデビューのきっかけを作ってくれた最大の恩人。共に闘ってきた気持ちが強いです」と語り、涙ぐみながら偲んだ。
裕也さんと知り合ったのは1978年、助監督として、故・松田優作さんが主演した「最も危険な遊戯」の出演交渉をした際だった。83年、劇場作品としての監督デビュー作となった「十階のモスキート」に裕也さんが共同脚本で参加。その後は公私ともに交流が続いた。
内田裕也という人間について「ロックミュージシャンであり、社会風刺者であり、ザ・タイガースを発掘したようにプロデューサーであり、マルチな表現者でした。彼の79年の歴史が内田裕也そのまま」と語った。
亡きがらとの対面を前に取材に応じたため、「別れの言葉は…」と聞かれると、涙があふれそうになり、天を仰ぎ、首を横に振りながら「うまく言葉にできないですね…」と唇を噛んだ。
昨年9月に亡くなった妻・樹木希林さんとも交流があり、「一対の男と女、夫婦というより時に愛があり、時に憎しみもあったでしょう。そういう意味では“世紀”のカップルでした」と表現。先に鬼籍に入った希林さんが「毒のある軽口で『いらっしゃいませ』とお迎えするのではないでしょうか」と語った。
密着ドキュメンタリーは希林さんがナレーションを務めた最後の“共演作”。希林さんは亡くなる2カ月前の昨年7月に収録に参加した。