内田裕也さん死去 タイガーススカウト、キャロル後押し…ニッポンロックの開拓者

 コンサートでファンの声援に応える=2013年9月
 「ナベプロ50周年」で歌う内田裕也さん(中央)。左はミッキー・カーチス、右は井上尭之さん=2005年11月 
 東京・有楽町の日劇ウエスタンカーニバルで歌う=1981年1月
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 ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名雄也=ゆうや)さんが17日午前5時33分、肺炎のため都内の病院で死去した。79歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は近親者で行い、お別れの会は後日予定。裕也さんは、半世紀前からロックンローラーとして活動。日本のロック界の先駆者となり、多くの才能を輩出した。

 「ロックンロール」「シェケナベイベー」が口癖だった裕也さんの訃報には、ロック歌手の矢沢永吉(69)が追悼のコメントを発表した。

 「裕也さんが居なくなるってさみしいですね。 爺さんになっても、よぼよぼになっても、もっと生きて欲しかったです。 心より御冥福をお祈りいたします」

 矢沢はジョニー大倉さんらとキャロル結成後の1972年に、裕也さんとテレビ番組で共演。75年の東京・日比谷野外音楽堂で行われたキャロル解散コンサートでは、裕也さんが「キャロルは解散しても、ロックンロールは永遠だ」とスピーチした。その後、交流が続いた。

 裕也さんは、実際に日本のロック界に多大な貢献を果たした。高校時代にエルビス・プレスリーに感化され、ロックンローラーとして歩み出し、寺内タケシとブルージーンズなどに参加。ザ・タイガースを大阪でスカウトしてデビューさせるなど、早くからプレーヤーにとどまらない活動も展開した。

 海外にも目を向け、70年にプロデュースしたフラワー・トラヴェリン・バンドは米メジャーレーベルから世界発売された。はっぴいえんどら日本語でのロックを模索するグループとの間に「日本語ロック論争」を巻き起こした。

 73年からは、大みそかに年越しロックイベントを開催。若手のロック歌手も参加し、後進を育てた。74年には福島県郡山市で「ワンステップ・フェスティバル」を開催し、日本における国際的な大規模ロックフェスの先駆けとなった。

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