武内由紀子【特別養子縁組で母に(1)】不妊治療4年で断念「奇跡信じたくない」
大阪パフォーマンスドールのリーダーとして活躍したタレント・武内由紀子(46)が3月25日、特別養子縁組制度で生後9カ月の男児の母になったことを報告した。芸能界では昨年2月に元宝塚月組トップスターの瀬奈じゅん(44)が特別養子縁組で0歳児の母となったことを公表している。4年間の不妊治療の末に血の繋がらない子供を迎える決意をした武内に話を聞いた。【インタビュー(1)】
武内夫妻は今年2月末に家庭裁判所への申し立てが受理され、男児を長男として入籍した。昨年6月22日に生まれ、生後4日後には男児、実母と対面。6月下旬にはインスタグラムで特別養子縁組を“公表”しており、「お腹大きくなってなくて妊娠もしてないのに(赤ちゃんが)生まれるのはおかしな話なので」とその理由を語る。
13年3月に一般男性と結婚した。10年8月にプロポーズされ、妊活を始めたが授からず、入籍後から不妊治療を始めた。「籍を入れないと不妊治療ってできないんです。40歳ですぐに始めようと思ったんですけど、卵巣嚢腫(のうしゅ)の手術をしないと治療ができないと言われ、手術をしました」。
不妊治療に取り組めたのは術後の13年10月から。2回目で着床し、6週間まで育ったが稽留流産した。「けっこう落ち込んだというか…。諦めずに続けましたが、なかなか…。いろんな方法を試したんですが」。
45歳の誕生日(18年3月)まで不妊治療を続けるつもりだった。いつ妊娠してもいいように、舞台の仕事は諦めた。しかし17年3月、博多座での博多華丸主演舞台「熱血!ブラバン少女。」にはどうしても出たかった。「それまで舞台の仕事を断ったのに(妊娠せずに)『結局出れたやん』ということが続いていたので、(今回は)お腹に戻せる卵を先に貯めておこう、舞台終わったらお腹に戻せて妊娠できたらええな、って。2個できたけど、1個戻してもダメで、最後の1個、ってなった時、もうこれだけやってきて、ここで妊娠しなかったら…ともう、希望持てなくなった。これ(この1個)を最後にしよう、と思ったんですが、やっぱり授からず。もう思い残すことはないな、と」。
夫は「やめよう」とも「続けよう」とも言わず、武内の意見を尊重してくれた。治療をやめたいと告げた時も「分かった」と受け止めてくれたという。
17年7月に治療を断念した。「お金は不妊治療のためだけに使いました。働けど働けど…そのためだけに働いて、ぜいたくもせず」。体のつらさより、「また今月もダメだった」という精神的なダメージの蓄積が響いた。治療をやめたらおいしいものを食べて、夫婦で旅行に行って、舞台をやって…。これまでに我慢していたものをやろうと思い描いた。
「でも、最後の治療のお会計を待っている間に、スマホで特別養子縁組を調べてたんです。無意識だったのか、自分でもすごい驚いた。自分で産むことへの諦めはスパッとついたんだけど、子供を育てるということは諦められなかった」。
夫には病院からの帰り道で特別養子縁組への思いを打ち明けた。「分かった」とは言ってくれたが、その後は話が進まず、1週間後、2人で話し合った。夫は「養子は悪くない。でも、治療をやめてから授かったという人もいるから、もう少し、1年ぐらい妊活を続けてからでもいいんじゃないか」という意見だった。
武内は「そういう奇跡は信じたくない。信じて、信じて、信じて、ことごとくダメだったから、もうそういう思いをしたくない」と伝えた。