高島忠夫さん逝く さらば「イェ~イ!」 俳優、名司会者としてお茶の間に愛された
映画やテレビで幅広く活躍した俳優の高島忠夫(たかしま・ただお、本名高嶋忠夫)さんが26日午後1時1分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。88歳。妻で女優の寿美花代(すみ・はなよ=87)の意向もあり、27日に自宅で密葬を行った。2人はおしどり夫婦として知られており、最期も寿美が自宅でみとった。お別れ会などは予定していない。息子の高嶋政宏(53)、高嶋政伸(52)も含めた芸能一家“高島ファミリー”として、晩年はバラエティーでも活躍したやさしいパパが静かに去った。
俳優として、名司会者として、夫・父として笑顔を絶やさなかった高島さんが世を去った。
高島さんは兵庫県神戸市生まれ。1951年に新東宝第1期ニューフェイスとなり、ドラマ「坊つちゃん」シリーズなどの青春コメディーや「キングコング対ゴジラ」(62年)などの特撮物の映画に出演。舞台ではミュージカル「マイ・フェア・レディ」などで活躍した。
63年には宝塚のトップスターだった寿美と結婚。芸能界きってのおしどり夫婦としてメディアでもたびたび取り上げられた。
テレビでは寿美とのコンビで27年続けた日本テレビ系の料理番組「ごちそうさま」や、フジテレビ系の「クイズ!ドレミファドン!」「ゴールデン洋画劇場」などで司会を務めた。
名司会者として活躍していたが、糖尿病を患った後、98年にうつ病を発症。レギュラー番組を降板するなどして治療に専念した。2003年に復帰した際にはテレビ番組で闘病生活を赤裸々に語り、サムアップして名文句の「イェ~イ」を連発していたが、その後、10年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術も受けていた。
20年にも渡る闘病生活を支えたのは愛妻の寿美だった。関係者によると、この数カ月間も高島さんは寝たきりのような状態だったが、ホームヘルパーの助けを借りながら献身的に介護していたという。
しかし、高島さんは徐々に衰弱し、最期は寿美にみとられながら眠るように息を引き取った。2人の息子も臨終には間に合わなかったという。寿美の「最期は家族で見送りたい」という意向もあり、葬儀・告別式は密葬で営まれた。別れ際には高島さんが大好きだったスペインの歌手フリオ・イグレシアスの楽曲が流されたという。