ジャニーさんが創った世界 一貫して語られ続けた「世界での活躍」
ジャニー喜多川社長の死去が大きな衝撃を広げている。奇想天外な着想とユニークな人材育成法は、日本のみならず世界のエンターテインメント界に影響を与えた。1962年のジャニーズ事務所を創業から57年。ジャニー喜多川社長は何を作り、何を変えてきたのか。その世界を検証する。
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ジャニー社長を語るとき、しばしば出てくる言葉、それは「DREAMER(夢見る人)」だ。80歳を超えてからも夢見ることをやめなかった。最近の夢は「2020年に海外から来る人に日本のエンターテインメントの素晴らしさを感じてもらうこと」。そのため、五輪期間中に都心の劇場をジャニーズでジャックすること。ジャニー社長はこれまで数々の夢を語り、それを実現してきた。
事務所の創設は1962年。高野山ロサンゼルス別院を開いた父・喜多川諦道氏が、一時、プロ野球チームのマネジャーを務めていたことから、少年野球チームを結成。メンバーだったあおい輝彦らと映画「ウエストサイド物語」を見て、芸能に転向した。
初代ジャニーズから一貫して語られた夢は所属タレントの「世界での活躍」だ。米国生まれのジャニー社長にとって、世界は身近なものだった。ジャッキー・チェンやマイケル・ジャクソンさんら、世界のスターと親しく付き合い、幅広い人脈があった。
バックダンサーをジャニーズJr.として育成、そこから次のスターを発掘する独自の人材育成システムを作ったジャニー社長。よくジャニーズJr.を「勉強のため」に帯同させ、海外で一流のショーに触れさせた。こうして育てられたタレントたちにとっても海外は身近なものになった。SMAP、嵐ら、現在まで多くのタレントが海外公演を成功させ、アジア圏では熱狂的ファンも獲得した。
同時に、海外から最新の技術を取り入れることで、日本のショーを世界レベルにした。ムービングステージや落下する水で文字を描くウオーターサインなども、ジャニー社長が日本に持ち込んだものだ。これら最新演出を使って「SHOCK」などの名ミュージカルが誕生した。