ジャニーさんが創った世界 「エンタメは平和でないと成立しない」
ジャニー喜多川社長の死去が大きな衝撃を広げている。奇想天外な着想とユニークな人材育成法は、日本のみならず世界のエンターテインメント界に影響を与えた。1962年のジャニーズ事務所を創業から57年。ジャニー喜多川社長は何を作り、何を変えてきたのか。その世界を検証する。
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エンターテインメントを通じ、ジャニーさんは誰よりも「平和」「反戦」を強く訴えていた。
それは自身の体験に基づいている。太平洋戦争では和歌山に疎開、1945年7月に空襲に遭った。避難しようと思った場所に行けず、橋の下にいたことで難を逃れたが、目の当たりにした悲惨な光景は忘れることはできなかった。この経験は17年に日生劇場で行われた舞台「少年たち~Born TOMORROW~」で克明に描かれている。
また、米ロサンゼルス生まれで米国籍を持っていたジャニーさんは、50年に朝鮮戦争が勃発すると米兵として米軍に従軍。これら2度の戦争体験から、常々「エンターテインメントは、平和でないと成立しない」と口にしていた。若い演者たちにはもちろん、観賞に訪れる若い観客にも、この史実を知って欲しい。激動の時代を生き抜いた者として、平和が奏でるエンターテインメントに情熱を注ぎ、反戦を伝えていくことは使命でもあった。
世界の最新スキルを取り入れることに力を注いだ一方で、日本ならではの「和」をモチーフとする演出にもこだわりがあった。ロスでショービジネスへの造詣を深めたころ、現地で公演を行っていた美空ひばりさんと交流したこともあり、演歌を愛した。Jr.をはじめとした若手の登竜門と言われる舞台「ジャニーズ銀座」では、ひばりさんの名曲「川の流れのように」を歌唱する演目を取り入れた。
「古いものを、彼らがやると新しいものになる。古いものを捨てるのではなく、世界に伝えていってほしい」としばしば語っていたジャニーさん。常にグローバルな目線を意識するからこそ、日本発の文化の素晴らしさを、時代を問わず伝えることにも情熱を傾けた。
12日は事務所所属のタレントたちが、恩師に別れを告げた。ジャニーさんが生んだ「子どもたち」が、長きにわたって紡ぎ上げられた「夢」を体現していくことになる。(デイリースポーツ・特別取材班)=終わり=