作曲家・中村典正さん死去 三山ひろしの師匠で義父 肺炎、83歳
歌手・三山ひろし(38)の師匠で義父の作曲家・中村典正(なかむら・てんしょう、本名中村貞夫)さんが今月16日、肺炎のため死去していたことが20日、分かった。83歳。山口県周南市出身。通夜と葬儀は、密葬として既に営まれた。喪主は妻の歌手・松前ひろ子(まつまえ・ひろこ、本名中村弘子)。後日、「お別れの会」を予定している。
中村さんはコロムビア歌謡コンクール徳山大会に入賞し、歌手を志して上京。全国大会にも入賞した。
「喜びも悲しみも幾歳月」のヒットで知られる歌手の故若山彰さんの付き人をへて、故美空ひばりさんの「お祭りマンボ」などを手掛けた作曲家の故原六郎さんに師事した後、編曲家となった。
その後、作曲家を目指し、1963年に北島三郎(82)の「田舎へ帰れよ」で作曲家デビュー。2作目となる北島の「仁義」が大ヒット。その後、鳥羽一郎(67)、藤あや子(58)、大川栄策(70)、冠二郎(75)らに曲を提供した。また、三山を昨年まで4年連続でNHK紅白歌合戦に出場する人気歌手に育て上げた。次女の洋子さんは2012年3月に三山と結婚、一男一女をもうけている。