安部譲二さん死去 妻が明かした晩年 86年「塀の中の懲りない面々」で一世風靡
ベストセラー小説「塀の中の懲りない面々」(1986年)で一世を風靡し、デイリースポーツで92~2009年に「懲りない編集長」を務めた作家の安部譲二(あべ・じょうじ、本名直也=なおや)さんが2日午前1時18分、急性肺炎のため東京都内の自宅で死去していたことが8日、発表された。82歳。東京都出身。葬儀・告別式は7日、親族のみで営まれた。喪主は妻美智子(みちこ)さん(65)。お別れの会は、本人の希望で行わない。
美智子さんはこの日、デイリースポーツに、安部さんの晩年を明かした。
安部さんは2015年に大腸がんの摘出手術を受け、自宅療養していた。仕事を整理し、「公式サイトに文章を書いたり、知り合いのところに寄稿していた」くらいだった。
昨年暮れに肺への転移が見つかり、治療方針を考えているさなか、散歩中に転倒して大腿骨と手首を骨折した。その頃から体力が落ち、入院中も肺炎を起こすなどした。
安部さんの強い希望で4月末にはリハビリしながらの在宅治療に切り替えた。動いたり飲食したりすることには制限があったが「おしゃべりは相変わらず」だったという。
肺炎を繰り返す中で少しずつ体力を奪われ、亡くなる3日前から呼吸が苦しくなり、今月1日に容体が急変。美智子さんにみとられた。肺炎で息が荒く、言葉も聞き取りにくくなっていた安部さんは「ジュースを飲みたい」と頼み、含ませたという。「もう少し先かなと思っていましたが、急でした」という、突然の別れだった。
中学時代からやくざでありながら、日本航空のパーサーとの二足のわらじを履くなど特異な前半生を送った。1986年、服役経験を描いた自伝的小説「塀の中の懲りない面々」がベストセラーとなり、自身が社会現象のような存在となった。
膨大な著書を残したが、博識でユーモラスな人柄でテレビやラジオなど放送媒体からも引っ張りだこに。麻布中学の同級生だった故橋本龍太郎元首相など人脈も幅広かった。
約30年連れ添った美智子さんは「普通の人だったらやり過ごしちゃうようなことでも、怒ったり怒りをぶちまけたり、ニュースを見ても野球を見ても、激しい感情がほとばしっていました」と、その硬骨漢ぶりを証言。
「人をビックリさせたり、面白がらせるということに精魂を込めていて、私がビックリすることをしかけてやろうとして、仰天したりあきれたり。基本的には素直でまじめで、憎めないチャーミングさみたいなものを持っている人だと思います」と、家庭人としての顔も語っていた。