野宮真貴 ピチカート・ファイヴ時代を回想「1曲1着、着替えたこともあります」
日本のみならず海外でも人気を博した音楽ユニット「ピチカート・ファイヴ」のボーカリストだった歌手の野宮真貴が2日、TOKYO MX「音ボケPOPS」に出演し、ピチカート時代を振り返った。
ピチカートは1984年結成、2001年解散。野宮は90年から解散までボーカリストを務め、ヒット曲「スウィート・ソウル・レビュー」や「東京は夜の七時」などを歌っている。
デビュー38年目、「来年が還暦イヤー」という野宮は「私は本当にオシャレと歌うことが大好きで、それで歌手になりたいと子供の頃から思っていたんですけども、その両方が思いっ切りできたのが、長いキャリアの中でもピチカート・ファイヴで活動していた10年間で、それが認められて海外進出とかね、いろいろ充実してましたね」と回想。
90年代を代表するファッション・アイコンでもあり、「特にピチカート・ファイヴの頃はありとあらゆるファッションをしましたし、ヘアメイクも随分凝っていたので」、「ピチカート・ファイヴの時はホントあらゆるファッションをして、1曲1着、着替えたこともあります」と、洗練されたビジュアルでも知られるピチカートの徹底したオシャレっぷりを説明した。
ピチカートのパートナーだった小西康陽については「例えばフランシス・レイの『男と女』の日本語詞を書いてもらったりしてます。それがまた素晴らしくて。あとは彼がDJをやっているので、遊びに行ったりもします、時々。でも行くと必ずピチカート・ファイヴかけて、歌わせられる」と、現在でも交流があるという。