【悼む】宍戸錠さん ホテルの屋上で衝撃撮影 サービス精神と早撃ちにこだわり…
日活アクション映画「渡り鳥」シリーズなどで活躍し、「エースのジョー」の愛称で親しまれた俳優の宍戸錠(ししど・じょう)さんが東京都世田谷区の自宅で死去したことが21日、分かった。86歳。大阪市出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。宍戸さんは日活の第1期ニューフェイスに合格し映画デビュー。頬を膨らませる整形手術をして以降、悪役として活躍した。「食いしん坊!万才」でリポーター、「元祖どっきりカメラ」ではMCを務め、お茶の間でも親しまれた。2013年には自宅が全焼する火災に見舞われたが、気丈に会見。いつ何時も無頼派を貫いた。
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映画記者として、駆け出し時代の宍戸さんと日活撮影所で接した。同世代である私にも、彼は気さくに声をかけてくれた。
デビュー当時、宍戸さんはタクシーにも乗れず歩いて撮影所に通っていた。昭和30年の話だが、翌年、いつのまにかほっぺたがふっくらしていた。
宍戸さんが頬にシリコンを入れる手術をしたことは有名だが、当時は騒がれなかった。有名になる前で、話題になるほどの力がなかった。本人も自分から記者にアピールすることはなく、本当に「いつのまにか」だった。
その後、「渡り鳥シリーズ」で小林旭と共演し、自分で車を買って運転するようになった宍戸さんは「やっぱり、スターになるということは素晴らしいね」と、しみじみと語ってくれた。撮影所では、いつも拳銃の早撃ち練習をしていた姿が印象的だ。西部劇のゲイリー・クーパーを意識して「ゼロ・コンマ何秒の早撃ち」にこだわっていた。
正月紙面に向けた企画取材で、日活ホテルの屋上で宍戸さんを撮影した時、彼は屋上の手すりに足を絡めて腹ばいになった。何十メートル下は路上。落ちたらひとたまりもないが、彼は率先してそういうアイデアを出してきた。「アキラ(小林旭)がスタントなしでアクションシーンをやるので、自分も」という気持ちがあり、サービス精神も旺盛な人だった。
スターになっても上を向かず、会うと、いつでも「ヤー、ヤー」と気さくに声をかけてくれた。カラっとして、明るい人だった。(デイリースポーツOB・島久夫)