ブルー・コメッツ ジャッキー吉川さん死去 「ブルー・シャトウ」大ヒット
「ブルー・シャトウ」の大ヒットで知られるグループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のリーダーで、ドラムス担当のジャッキー吉川(本名板岡公一=いたおか・こういち)さんが死去していたことが21日、分かった。81歳。東京都出身。死因は調査中。1人暮らしをしていた群馬県内の自宅で亡くなっているところを関係者が20日午後に発見した。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
昭和の音楽史を彩った名曲の担い手が、静かに人生の幕を閉じた。ブルーコメッツを率いて、1960年代のグループサウンズ黄金期をけん引した吉川さん。所属事務所によると2年前から体調を崩して1人では歩けない状態だったといい、自宅で亡くなっているところを発見された。
今月5日にマネジャーが身の回りの世話のため、自宅を訪れた際、吉川さんは食欲がなかったという。「また連絡するね」と話していたが、その後連絡がなかったために不審に思い、20日午後に再訪。吉川さんはベッドに横たわり、息を引き取っていたという。
吉川さんは38年8月1日生まれ。東京都出身。高校2年生の時に見た映画「グレン・ミラー物語」で、ジーン・クルーパに憧れてドラムを始めた。法政大2年の時に鹿内タカシ(現孝)&ブルー・コメッツのバンドボーイとなり、61年に正式メンバーに。鹿内の米国留学を機に、リーダーとなった。
66年、ザ・ビートルズの日本武道館公演に前座で出演した。67年に発売した「ブルー・シャトウ」が大ヒットし、日本レコード大賞に輝いた。NHK紅白歌合戦にも3年連続出場。故美空ひばりさんの「真っ赤な太陽」にはバックバンドとして参加し、米国の人気テレビ番組「エド・サリバン・ショー」にも出演した。
ブルコメは2000年に井上忠夫(大輔)さんが死去したが、01年から活動を再開させて、全国をまわってコンサートを実施。吉川さんは17年にテレビ朝日「徹子の部屋」に出演した際、くも膜下出血で闘病して復帰したことを明かしていた。