渡哲也さん死去 闘病の歴史…直腸がんで人工肛門、急性心筋梗塞、肺気腫やぜんそく

 ドラマ「大都会」や「西部警察」シリーズで大人の男の魅力を放ち、歌手としても「くちなしの花」を大ヒットさせた俳優・渡哲也=本名・渡瀬道彦=さんが10日に肺炎のため亡くなったことが14日分かった。78歳。兵庫県淡路市出身。渡さんの歴史は闘病の歴史でもあった。主な闘病歴を振り返る。

 ▼72年7月 フジテレビ「忍法かげろう斬り」撮影中、高熱を出し、入院。「葉間肋膜炎」で2カ月入院。

 ▼75年3月12日 2月から高熱が続いており、ついに肺炎寸前で緊急入院。入院後、10日以上も40度を超す高熱。約5カ月入院した。病名は「慢性肺感染症」。しかし、実際には難病の「膠原(こうげん)病」だった。

 ▼89年3月12日 渡さんが社長となって初の石原プロ制作のドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」撮影中、腓膜筋断裂で全治1カ月半の重傷を負う。

 ▼91年6月12日、直腸がんを公表。「自分が好んで(がんに)なったわけではないが、これも天命。仕事で迷惑をかけるのも自分の責任なので、このことも公表してもらいたい」。

 ▼同6月20日 3時間に及ぶ手術。術後、病院近くで実弟で俳優の渡瀬恒彦さんが、小林専務とともに記者会見。「当初は拒否し続けた人工肛門を付けることになったが、これをどう克服、対処していくかが兄の勝負になるでしょう」と人工肛門にしたことを公表。

 実は渡瀬さん自身が、「人工肛門になることは俳優生命を絶つことに等しい、と兄貴は思っている」と命を縮めてでも、渡さんが希望する部分切除の道はないのか、最後の最後まで苦悩した1人。気迫を込めるように、一語一語をかみしめるように話した渡瀬さんの目は涙ぐんでいた。

 当時、人気俳優の「人工肛門」公表は大変な衝撃をもって受け止められた。渡さんは手術直前に部分切除と聞かされていたが、実際には人工肛門になったことを術後に知らされた。

 (73年3月に亡くなった父・賢治さんも直腸がんと胃がんと診断され、晩年は人工肛門になっていた)。

 ▼97年7月17日 直腸がんの手術後、半年に1回行っている定期検診でポリープが2つ見つかり、内視鏡で切除。うち1つが悪性の大腸がんだった。

 ▼15年6月 急性心筋梗塞の緊急手術。安静にしていないと血中酸素濃度が下がり、苦しくなることもあり、車いすでの生活に。同年11月 舘ひろし、神田正輝ら石原軍団と共に宝酒造「松竹梅」新CMを撮影。

 ▼16年8月 吉永小百合と宝酒造の新CM撮影。現場で取材に応じ、車いすが必要なくなるまで回復と説明。持病の肺気腫やぜんそくなどの呼吸器系の疾患で酸素吸入器をつけて生活していることを明かす。

 ▼17年9月 吉永と宝酒造の新CM撮影。「まだ(映画を)お引き受けできるような体調じゃない」と本格復帰には慎重な姿勢を示した。

 ▼18年春 外出時にも酸素吸入器が外せないと報じられる。

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