元日テレ・馬場典子アナ フリー転身6年…今や大学教授「一番の教科書は人との会話」
元日本テレビアナウンサーの馬場典子(46)が、フリーアナウンサーに転身し6年が経つ。現在はTBS系「ゴゴスマ!~GOGO!Smile!~」(月~金曜、後1・55)のほか、NHK「あさイチ」(月~金曜、前8・15)にも不定期で出演。幅広く「アナウンサー」という職を極めている。一方、2015年からは大阪芸術大学の放送学科で教鞭を執る。コロナ禍でのオンライン授業に戸惑いつつも奮闘する馬場アナが、仕事、趣味、そして結婚について語った。
職に就き“四半世紀”が近づいている。「楽しくはやってきたけど、あっという間ですね」。穏やかな笑顔を浮かべながら、奮闘してきた日々を振り返った。
馬場が日本テレビにアナウンサーとして入社したのは1997年。情報番組や「ザ!世界仰天ニュース」から「キユーピー3分クッキング」などの老舗番組まで、オールマイティーに番組を担当した。
14年に退社し、その後はフリーアナとして活動してきた。明るいキャラクターとアナウンス力に定評があり、コロナ禍ではニコニコ動画などで配信された番組「安倍首相に質問!」の司会に抜てき。新型コロナ対策について首相に切り込む姿は“できるアナ”の代表の感がある。
しかし本人いわく、意外にも新人時代は「本当にひどかった」。そもそもアナウンサー志望ですらなかった。「面接の練習ですね。一番マスコミが早くて、その中でもテレビが早くて、その中でもアナウンサーが早いので。失礼を承知で言うと“受かっちゃった”んです」と別の職を希望していたという。
そのため、若手時代は「目指してた人に恥ずかしくない自分でありたい」と力が入りすぎてしまった。「どうしようもない素人なんだから、ただ一生懸命頑張ればいいのに背負えない荷物を背負ちゃって自分で勝手に苦しんでいた。今思えば視聴者に向き合わなきゃいけないのに、自分のことしか見えていない時代が長かった」。のちのエースアナも葛藤を経験していた。
自分の経験を学生に伝えたい-。15年から大阪芸術大学の放送学科で教授を務める。主にアナウンスコースの学生を対象に隔週で授業を行い「アナウンサーのことを教えているよりも、もっと多くのコミュニケーションとか、どこに行っても生きていける、本当に大切な時に何か残る、背中を押す、励ます一言を残せたらなという思いでやってます」。
コロナ禍で授業はオンラインに。年頃の若者は恥ずかしさからか、顔出しをしてくれず、もどかしい思いをしているという。それでも「私が自然と『ありがとうございました』って言いたくなるような授業をしてないのかも。己を磨かなきゃ」と矢印を自身に向けていた。
法螺(ほら)貝、食、酒など多趣味でも知られる。「映画を観れば俳優さんのインタビューに活きるし、ナレーションが入っていれば勉強になる。人との会話も、美味しいものを食べるとそのマナーを学ぶことにもなるし、全部が人との触れ合いで役に立つ仕事なんです」。毎日の積み重ねがアナウンサー・馬場典子を形成してきた。
「一番の教科書は常に人との会話だった」という馬場だが「一人の時間と空間がないと息切れしちゃう」とも。結婚について問うと「もういいかな」と笑う。「私は子供を産むのも難しい年齢だし、子供いないんだったらわざわざ結婚とか大変な道を選ばなくてもいいかな。誰かに巡り合ったら、そっちがスーパーラッキー」。しばらくは仕事という“恋人”と歩んでいくようだ。
「今日より明日はきっと良くなっていくっていう感覚はずっと持っています。今日ちょっと失敗したなとか思っても、なんか明日と良い日になるかもとか、明日また楽しい日になるかもってね」
肩の力を抜いて、今日も馬場は番組に命を吹き込んでいる。