世界のKENZO 高田賢三さんコロナ死、81歳 バカンス後に判明…入院治療実らず
「KENZO(ケンゾー)」ブランドで1970年代から世界のファッション界を先導した服飾デザイナーのレジェンド、高田賢三(たかだ・けんぞう)さんが4日、新型コロナウイルス感染のため、パリ郊外の病院で死去した。広報担当者が発表した。81歳。兵庫県出身。9月上旬に感染が判明、入院治療を受けていたが、回復はかなわなかった。日本人デザイナーとして世界の舞台で活躍した先駆けの死に、多くの人々が悲しみに暮れた。
関係者によると、高田さんは9月初旬に南仏へのバカンスからパリに戻った後の同10日頃、体調不良を訴えて入院。11日にPCR検査で感染が判明した。関係者に電話で「体調が良くなってきた」と伝えるなどしていたが、容体は一進一退を繰り返し、日本時間の10月4日夜に亡くなったという。
1939年、兵庫県姫路市の花街に生まれた。日本旅館を営む両親の反対を押し切って上京し、文化服飾学院で小池千枝氏に師事。在学中に若手デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞した。
65年に渡仏。帰国日が迫り、自作のデザイン画を見てほしくてお気に入りのブティックに持ち込んだところ、返ってきた言葉は「おいくら?」。次に持ち込んだモード誌「ELLE」の編集部でも絵は売れた。
70年、パリにブティック「ジャングル・ジャップ」を開き、初のコレクションを発表。その中の1着がELLEの表紙を飾り、KENZOの名は一躍、知れ渡った。
華やかな色彩、大胆な柄の組み合わせ、民族衣装からの着想、重ね着などを想像力豊かに展開。夏用の生地とされていた木綿を多用し、伸びやかな作風と相まって「木綿の詩人」などと称され、70年代前半には国際的な人気デザイナーとしての地位を確立した。
ファッションショーの在り方も変えた。番号札を付けたモデルが客席の間を歩く形から、大会場で音楽を流して服を見せる現在のスタイルに。ジャン=ポール・ゴルチエ氏は「KENZOのショーに衝撃を受けた。こんなに楽しくできるのかと思った」と話す。
93年に会社をモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンに売却。99年秋開催のパリ・コレクションを最後にブランドからも離れた。
高田さんは今年3月、インテリア商品が中心の新ブランド「K三(ケースリー)」を立ち上げた。例年4月に伊ミラノで開かれる世界最大級の家具見本市「ミラノサローネ」で披露予定だったが、新型コロナの影響で同見本市は開催されなかった。その新型コロナは、高田さんの命も奪っていった。