ジョン・レノン生誕80周年を記念しエンパイア・ステート・ビルがライトアップ

 点灯するショーン・オノ・レノン=米ニューヨーク
ライトアップされたエンパイア・ステート・ビルディング=米ニューヨーク
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 米ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングは8日(現地時間)、タワーをスカイブルーでライトアップし、鉄塔に白いピース・サインを周回させた。

 9日に生誕80周年を迎える元ビートルズのジョン・レノンの人生とレガシーをひと足早くたたえるために、ジョン・レノン財団とユニバーサル・ミュージック・グループの協力を得ておこなわれたイベントで、ライトアップは日没からスタートし、東部夏時間の午前2時まで続いた。

 ライトアップのスイッチを入れたジョンの次男でミュージシャンのショーン・オノ・レノンは次の通りコメントしている。

 「僕の父は1971年にニューヨークに移住してきました。彼はここがとても気に入りましたが、移住者としてここで永住権を取得するために大変苦労したことは、有名な話です。父はニューヨークが世界一素晴らしい場所だと常に語っていました。そんな彼が僕をこの街で育ててくれたことをありがたく思っています。ですから、このような機会に感謝すると共に、彼のメッセージである愛と平和、そして真実という言葉が皆さまに届くことを願っています」

 ジョンは71年から、狂信的なファンに射殺される80年までNYのセントラル・パークにほど近いアパート、ザ・ダコタに妻のオノ・ヨーコと暮らし、ショーンを育てた。また、「心の壁、愛の橋」(74年)や最後のスタジオ・アルバムとなった「ダブル・ファンタジー」(80年)など、多くの名盤を残している。

 ジョンはNYについて、次のような言葉を残している。

 「イギリスやヨーロッパからやって来る大半の人間にとっては、ニューヨークこそがアメリカだ。つまり、ハリウッドを別にするとね。子供のころに見せられるのは、いつもその写真だったからさ。マンハッタンのスカイラインを見て育ったわけで、ここに来て、その一端を感じることが、まさしく一つの夢なんだよ」

 「本場はなんといってもアメリカだ。僕もニューヨークで生まれるべきだったと思う、ほんとに! ヴィレッジで生まれるべきだったんだ、僕の居場所はそこなんだから! なんであそこで生まれなかったんだろう? 18世紀はパリが“本場”だった。ロンドンはたぶん、一度も“本場”だったことはないと思う。文学的にはそうだったのかもしれない。ワイルドやショウみたいな人たちがゾロゾロいた時代にはね。ニューヨークは“本場”だった! 僕は自分がアメリカ人じゃないこと、グリニッジ・ヴィレッジで生まれなかったことを、心から後悔している。そこが僕のいるべき場所だった。でも絶対、思うようにはいかない。誰もが中心に向かって行くものだし、僕が今、ここにいるのもそれが理由だ。その空気が吸いたくてね。何かがはじまるのはここなんだ」

 「ニューヨークのよさを僕に教えたのはヨーコだった。ここにいたころの彼女は貧乏暮らしをしていて、街を隅々まで知りつくしていた。僕は彼女に連れられて通りや公園や広場を歩き回り、くぼみや割れ目も全部チェックした。実際の話、僕は街角でニューヨークと恋に落ちたと言ってもいいぐらいで……今も新しく来た連中には、同じことをやっている。プラザの外で車から降ろして、セントラル・パークを歩かせるのさ。で、そこからイースト・リヴァーやハドソン川、とにかくあらゆるところをね」

 「この街に文句を言うニューヨーカーには大勢会ってきたけれど、出て行くやつは1人もいない! ここは地球で最高の場所だし、もしそれがローマだとしたら、僕はウェールズじゃなくてローマに住みたいと思うだろう」

 ジョンの80歳の誕生日である9日、新たなベストアルバム「ギミ・サム・トゥルース.」がリリースされ、東京・ソニーミュージック六本木ミュージアムではジョン&ヨーコの大展覧会「DOUBLE FANTASY-John & Yoko”」東京展が開幕した。

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