坂田藤十郎さん死去 上方歌舞伎の重鎮人間国宝 たびたび女性問題、公私にかぶき者
歌舞伎俳優の坂田藤十郎(さかた・とうじゅうろう=本名・林宏太郎 はやし・こうたろう)さんが、12日午前10時42分、老衰のため都内の病院で亡くなっていたことが14日、わかった。88歳だった。松竹が発表した。密葬は同日、親族のみで執り行われた。藤十郎さんは上方歌舞伎の重鎮として活躍し、1994年には重要無形文化財(人間国宝)に認定された。58年には女優・扇千景(87)と結婚するも、たびたび女性問題で世間を騒がせるなど、破天荒な生きざまでも知られていた。
上方歌舞伎復活の立役者として君臨し、公私ともに“かぶき者”の生き方を貫いた伝説的名優が、静かにこの世を去った。
関係者によると、藤十郎さんが体調を崩していたという情報もなく、入院治療をしていたかどうかも不明で、訃報はまさに“寝耳に水”だったという。都内の自宅はこの日、弔問客もなく静まりかえっており、妻の扇については関係者がデイリースポーツの取材に対し、「至って元気ですので大丈夫です」と回答した。
藤十郎さんは1931年、二代目中村鴈治郎の長男として誕生した。妹は女優・中村玉緒(81)。41年10月、大阪・道頓堀角座で上演された「山姥」で二代目中村扇雀を襲名し、初舞台を踏んだ。53年には、250年ぶりに復活上演された上方歌舞伎の名作「曾根崎心中」の主役・お初を演じて大きな話題となり、“扇雀ブーム”を巻き起こした。
55年には松竹から離れ、東宝の所属に。同じく東宝系列の宝塚歌劇団に所属していた扇と58年10月に結婚すると、63年には松竹に復帰し、歌舞伎俳優としての活動を再開させた。
その後は上方歌舞伎の大立者として、数々の当たり役を名演。94年には重要無形文化財に選定された。一方で、奔放な女性関係でも知られ、扇との結婚前にも数々の浮名を流していたとされる。2002年には、京都の舞妓とホテルで密会し、バスローブをはだけて、自身の局部を露出させた“開チン騒動”が一部週刊誌に掲載されたこともあった。
それでも華やかで艶のある芸に関しては、一貫して高い評価を得ていた。若いころは女形として活躍し、その後は立役、老役など幅広い役をこなした。長男は四代目中村鴈治郎(61)、次男は三代目中村扇雀(59)として、現在も梨園の中心として活躍している。