北原ミレイ「石狩挽歌は私の宝物」 小柳ルミ子、加藤登紀子も…なかにしさん死去に涙
「北酒場」「石狩挽歌」などの大ヒット曲を作詞したなかにし礼さん(本名・中西礼三=なかにし・れいぞう)さんが23日に心筋梗塞のため、都内の病院で死去したことが25日、分かった。82歳。葬儀、告別式は家族のみで執り行う。昭和の大ヒットメーカーの訃報に、曲を作ってもらった歌手らが続々と悲しみのコメントを発表している。
「石狩挽歌」を歌った北原ミレイは「突然の知らせに悲しすぎて言葉がでません」とショックをにじませ「石狩挽歌のレコーディングでは『ハイヒールなんか脱いで裸足になって歌え』と叱られ、上手く歌えず悩んでいたら『一度歌の舞台を見た方がいい』と北海道に連れて行って下さったり、ついこの間の事のようですし、未だ未だ礼先生との思い出は尽きません」と振り返った。
そして「最初にお逢いした時からダンディーでかっこよかった礼先生、本当に長い間お疲れ様でした。先生、ありがとう。『石狩挽歌は、私の宝物!』そして「なかにし礼は、私の永遠の憬れ!」と結んだ。
小柳ルミ子はブログを更新し「私が若い頃、『京のにわか雨』を作って頂きました」と振り返り「強くて、繊細で、ブレない、知的でお洒落な方でした」「礼さん、哀しいです、82歳、若すぎます」「まだ礼さんが亡くなられた現実を受け入れられずにいます」「歌謡界全盛だったころの偉大な才能が、又、失われていきました」と無念さをつづった。
加藤登紀子はツイッターで「訃報に息が止まりそうになりました。ショックです」と驚きをつぶやいている。