被災時に「救ってくれた」自衛隊にあこがれた少年の今【3・11東日本大震災10年…】

 現在の中山裕皓さん(提供)
 雪の中で訓練する中山さん(提供)
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 新潟県新発田市にある陸上自衛隊第30普通科連隊(新発田駐屯地)に所属する中山裕晧(ひろあき)さん(20)は、小学校5年生だった10歳当時、福島県いわき市で被災した。地震、津波、原発事故。不自由な暮らしを強いられていた少年は、被災地支援で現地に派遣されてきた陸上自衛隊との出会いによって自身の進むべき道を決めた。入隊2年目、夢を実現させて自衛隊員となり、初の災害派遣も経験した中山さんが震災から10年の思いを語った。

 昨年12月、中山さんは入隊後初めて災害派遣の現場に立った。記録的な大雪のため新潟県の関越自動車道で1000台もの車が立ち往生。身動きの取れないドライバーに水や食料、毛布などの救援物資を配布し安否確認などの任務に携わった。

 「状況が明確に分からない中での作業で自分自身に不安がありました。正直、心の余裕がなかったです」。東日本大震災当時、優しく声をかけてくれた自衛隊員の笑顔を思い起こし意識はしたものの、同じように対応するのは難しかった。

 初めて自衛隊を知ったのは10年前だった。あの日、小学5年生の中山さんは学校で強烈な揺れに襲われた。津波は沿岸部の町に押し寄せてきた。普段めったに降らない雪が降りしきる中、校庭で過ごした記憶は深く心に刻まれている。

 家を失った同級生もいた。景色も日々の暮らしも一変した。断水が続く中、貴重な水を積み込んだ給水車両と共にやってきたのが自衛隊だった。「毎日水をもらいに行くと、笑顔で声をかけてくれました。皆さんの存在は大きく、不安な気持ちから救ってくれるものでした」

 保育園の頃、救急車が好きで「救急救命士」を夢見ていた少年は、初めて出会った自衛隊にあこがれを抱く。朝起きたら給水所に行って手伝いをすることが日課になり、重いポリタンクをお年寄りに代わって運ぶ隊員の行動をまねた。喜ばれるのはうれしかった。

 鳥取からの派遣部隊の活動は6月で終わり、最後に中山さんら、地元の少年野球チームとの交流試合が行われた。「なかなか野球ができない日々が続いた時でした。みんな笑顔だったのを覚えています」。あこがれの人たちと大好きな野球に没頭した1日は忘れられない思い出だ。

 隊員への感謝、自衛隊に入るという夢。中山さんは夏休みの作文に思いを記した。作文は関係者によって派遣部隊に届けられ、今度はお礼の手紙が戻ってきた。「さらに入りたいと思うようになりました」。高校でも野球を続けていた中山さんには、大学から入部の誘いがあったが、気持ちは揺らがなかった。

 入隊2年。自身も災害派遣を経験し、過酷な被災地で活動した先輩たちの強さを知った。「10年前、自分たちもつらかったですけど、家族と離れて来てくださった方たちもつらかったと思うんです。それでも笑顔で迎えてくれた。尊敬する存在だと感じます。感謝を伝えたいです」。

 3・11以降も自然災害は世界規模で多発している。いわき市は昨年10月、台風で大きな被害を受け、2月13日には最大震度6強の福島沖地震もあった。「今過ごしている平穏な日々が、実は当たり前にあるわけではない。災害は一瞬にして日常を変えます」。故郷を変えたあの日を思う。

 不測の事態に備えるため、今は訓練に励む毎日だ。冬場は荷物を担ぎスキーを用いた機動訓練に取り組んでいる。「今よりもっと被災された方の気持ちに寄り添うことができる心や技術、経験を積んでいきたいです」。夢を実現させたこれからが始まりなのだ。

 「自衛隊になるにはどうしたらいいですか?」。10年前の問いかけに隊員の一人は教えてくれた。「強く優しくなければならない」。中山さんは、その言葉をずっと心に持ち続けている。

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