川上麻衣子 コロナ収束したら戻ってきてくれるような…【志村けんさん一周忌】

 昨年3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で死去した、ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさんの一周忌法要が28日、東京都東村山市内の寺で母の和子さんの七回忌法要と共に営まれ、兄の知之さん(74)ら近親者が参列した。親交のあった女優・川上麻衣子(55)はデイリースポーツの取材に志村さんをしのび、地元の東村山の人々も、それぞれの思いと共に一周忌を迎えた。

 志村さんが亡くなってから1年がたちましたが、全然実感はないですね。志村さんのニュースからコロナが世間に広まったということもあり、収束したら戻ってきてくれるような気がします。取材で答えることも多くなり、以前よりも身近に感じることがあります。

 志村さんとは、1994年に可愛かずみちゃんの紹介で出会いました。最初はしゃべられない方で、志村さんが連れていた子犬のジョンと遊んでいた記憶しかありません。打ち解けてからは、朝まで飲んでカラオケに行くこともよくありました。吉幾三さんの曲が十八番で、すてきな歌い方をされていました。

 96年には死亡説が流れたことも。当時はたまたま一緒に麻布十番でご飯食べていて、途中で席を立って戻ってきてみたら「俺死んだらしいぞ」と笑っていた。その時の印象が強くて、(1年前に)テレビやスポーツ紙で亡くなったことが報じられてもウソみたいな感じがしちゃうんです。

 同じマンションに暮らしていた時期もありました。当時の私は結婚したので、みんなで一緒にパジャマパーティーですね。料理もお上手で、うちに来た時に豚しゃぶと手作りのタレを持ってきてくれた。志村さんは家庭を持たれませんでしたが、「男の子ができたら、バカ殿の格好させたいんだ」と言っていて、結婚されたかったのだと思います。

 番組のロケで一緒にスウェーデンに行ったこともあります。5月後半で天気が良い日がなかったのですが、志村さんは「ヨーロッパの石畳の街が好きだ」と地下鉄に乗って、街を巡ってくれた。現地で変わったおじさんを見つけて、隣に座ったと思ったら、同じように動作をマネ。人の特徴をつかむ感覚とそれを芸に取り入れていく姿はお見事でした。

 人見知りで本番前に「すごい震える」と緊張されていることがありましたが、いったん芸に入った途端に変わる姿は忘れません。志村さんのような芸人さんがこの先出てくることはないだろうし、同じ時期に同じ芸能界で“本物の芸”を見せてもらった私は幸せ者です。もし道をそれそうになったら、志村さんの芸に対して謙虚な姿を思い出したいと思います。志村さん、ありがとう。

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