キートン山田さん「まる子」に携われたことが奇跡 3月末に引退 自然体で貫いた
アニメ「ちびまる子ちゃん」のナレーションなどで知られるキートン山田さん(75)が、3月末をもって声優業を引退した。31年間担当して代表作となった『まる子』を始め、視聴者の心に残る語りを届け続けて半世紀。まだまだやれると惜しまれるタイミングで引退を決断した理由、最後の仕事を終えた心境を明かし、山あり谷ありの声優人生を振り返った。
ありのまま、自然体で楽しむことを貫いたからこそ、みんなに愛された。長い歩みに区切りを付けたキートン山田さんは「10年ぐらい前から時期を考えててね。周りに迷惑かけないように、元気なうちに潔く。全く悔いはないです」と晴れやかに言った。75歳、『まる子』の30周年など、さまざまな節目が重なったタイミングを、引き際に選んだ。
昨年12月の引退発表後、反響の大きさに驚いた。「想像をはるかに超えてました。ずっと裏方ですから。いつもそういう気持ちでやってましたからね。役者人生の終わりにね、うれしいことですよ」と顔をほころばせた。『まる子』の最後の出演回では劇中にも登場。「平常心でやろうと思って行ったんですけど、心揺れながら終わりました。でも、楽しかった」と、にこやかに収録を振り返った。
20代からアニメ作品で活躍。だが、30代で仕事が減って行き詰まり“冬の時代”が訪れた。妻と3人の子供、家のローンも抱え、自宅で内職もした。どん底から抜け出す転機は38歳の時。「すべてを変えましたね。もう一切、飾り物は取ろうと」と決意し、本名から「キートン山田」に改名した。
電車で読書中、目にした「世界三大喜劇人」の一人、バスター・キートン(アメリカの喜劇俳優)から拝借を即決。事務所にも子供にも反対されたが貫き通した。すると、仕事が舞い込むように。「名前を変えたことが大きいんじゃなくて、そこで気持ちが大きく変わったってこと。自分の持ってるもので勝負して、それでダメならやめようと。気持ちが楽になった」と振り返る。
そして44歳で巡り合った『まる子』は、31年間担当する代表作に。「携われたことが奇跡的なこと。人生が変わりました」。自然体でとにかく楽しんだ。名フレーズ「後半へつづく」も、実はリハーサルで「本当に思わず言った感じ。何の作為もない」とノリで発した言葉。最初の本番では言わずにいると、ディレクターから「あれ、言ってください」とリクエストされた。アドリブ禁止の本番にまさかの採用。「その一瞬を逃してたら、ない。よくぞ使ったなと」と楽しそうに笑った。
当時は斬新だった劇中のキャラにツッコむナレーション。子供向けアニメとしては少し際どい毒のあるツッコミも「キートンさんが言えば大丈夫です」とスタッフに言われた通り、世間に笑いとして受け入れられた。それも“キートン節”のなせる業だろう。
作ろうとしたりマネをしたりせず、自分の持っている声と個性で勝負することにしたからこそ、開けた道。泥臭さや生活感を大切にした。そして、常に心掛けたのは「あくまで話の流れに沿ってしゃべろう」ということ。「翌日」のひと言だけのナレーションでも、明るい流れになるのか、波乱含みなのか、前後のシーンで言い方は変わる。「微妙なところですけど、それが仕事かな。どれだけ雰囲気を出すか」。細やかなこだわりに、プロの自負をのぞかせた。
15年ほど前から静岡・伊東市に在住。余力を持ってリタイアし、これからは畑で野菜作りを思い切り楽しむ生活が待っている。「子供や孫たちには最後までそういう姿を見せたい。僕は自分のお墓も、作らないと伝えています。『心の中に残ってればいいよ』って」。老若男女を問わず愛された“キートン節”も、視聴者の心の中に残っていればいい-。長い道のりのゴールを迎え、名優は「一番ホッとするのはね、声の調子を気にしなくてよくなること」と笑った。
◆キートン山田(きーとん・やまだ)1945年10月25日生まれ。北海道三笠市出身。高校卒業後に上京。会社員を経て、70年に声優デビュー。「ゲッターロボ」、「一休さん」などのアニメ作品で活躍。90年から「ちびまる子ちゃん」のナレーションを担当。「ポツンと一軒家」、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」などの番組でもナレーションも務めた。2014年に声優アワード功労賞を受賞。家族は夫人、3人の子供と6人の孫がいる。