カルメン・マキ&OZ 奇跡的な復活からの軌跡を語る 18年に41年ぶり再結成
2018年、実に41年ぶりの再結成を果たした伝説のハードロックバンド「カルメン・マキ&OZ」が先月、ライブ作品「カルメン・マキ&OZ 45th Anniversary and“the Last Tour”」をBOX、ブルーレイ、2枚組CDの3形態でリリースした。メンバー5人がこのほどデイリースポーツの取材に応じ、奇跡的な復活からの軌跡を語った。
日本のロック、特にハードロックの先駆けとなったOZは18年10月、クラブチッタ(川崎市)の30周年イベントで復活した。川上シゲ(ベース)が「このクオリティーのバンドはたぶん出ない」と自負する通り、そこから2年、ブランクを吹き飛ばしてあまりある熱く濃密なライブパフォーマンスを見せた。
本作は19年11月24日のクラブチッタ公演を収録しており、ブルーレイは初の映像作品だ。厚見玲衣(キーボード)はOZの音楽性について「レコード制作の意図がかなりかっちりしているから、ある程度再現しないと曲として成り立たない」という面と、「同じ曲でもライブで毎日違う感じになるよね。そこが違うよね。昔っぽいよね、いい意味で」という面があるという。
毎年のようにあった再結成要請を断っていた理由を、カルメン・マキ(ボーカル)は「あたしは既に全然OZとは違うことをやってきてたし、またOZをやるってことになると、歌の発声から生活態度というか、モードを全部切り替えなきゃいけないっていうので、ちょっと大変だなと、ハードだなって思って」と説明する。
18年に応じたのは「みんな年も年だし、いつできなくなるか分からないなっていうのもあったよね。だからやってもいいかなって」という、心境の変化からだった。
18年はマキが2カ月前にろっ骨を4本折っており、「そもそも40年以上前の歌をもう一度ちゃんと歌えるかどうか。そこにもってきて胸ですからね。歌うところですからね。2018年のOZのステージは山を登る感じでしたね。何も余裕がないと」と振り返る。
春日hachi博文(ギター)は「若い頃作った曲でなじむのに時間がかかる。なんでこうしたかったのかっていうのがあまりよく分からない。でも、その曲にならないとしょうがないので、少しずつアレンジも変えつつ、工夫をしながらやっていて」、武田“チャッピー”治(ドラムス)も「曲を体の中にちゃんとしみこませないことにはできないので。一生懸命やらなきゃダメだろう、間に合わんぞという思いがありましたね」と、当時の苦闘を明かした。
しかしながら、41年間待ち焦がれたファンの反応は熱かった。マキは「反応がすごく良くて、これだけ待ってたんだっていうのを実感した」という。
翌19年のツアーでは「どこへ行っても熱烈歓迎してもらったし、やって良かったなというのがありましたよね。どんどんどんどん演奏も良くなっていくし、精神的にも充実感というか達成感が出てきた」(マキ)と手応えが増した。その充実した模様が、本作では捉えられている。
昨年、コロナ禍で行われたライブでは「何百人という人間が全員マスクをしていて、本来ならば1曲目から総立ちでね、演奏の合間にイエーとかオーとか合いの手が入ったり拍手がばーっと響いてきて、ということが全くないわけですから。出てった瞬間にある意味壮絶でしたよね。異空間に行っちゃったみたいな」(マキ)という光景に直面した。
それでも「曲が終わった後の拍手っていうのはむしろ、コロナじゃない時よりもすごく熱かった。これは本物の拍手だなって思いました」(マキ)と、ファンの心情が強く伝わってきたという。
今後について聞くと、マキからは「お望みならという話でしょ。ぜひこういうものが聴きたいとか、こういうものをやってくださいよ、出してくださいよっていう、そちらの反応が聞きたいぐらい」、「OZはOZですから。私がやりたいって言ってもイヤだって言う人がいたら成立しないし」と一筋縄ではいかない答えが返ってきたが、復活から2年半、まだ生のOZを見ていないファンは多い。
川上は「だから行かないとなと思うし、発売だけで終わらしてもしょうがないなっていうのもある」、厚見は「CDとか映像作品はあるけど、生のライブが一番ですよね」、武田は「言われればいつでも行きますよ」、春日は「機会があればぜひしたい」と話しており、21年のOZが待たれるところだ。
◆カルメン・マキ&OZ 現メンバーはカルメン・マキ、春日hachi博文、川上シゲ、武田“チャッピー”浩、2018年の復活から加わった厚見玲衣。1972年結成。74年デビュー。12分に及ぶ代表作「私は風」を収録した75年の1stアルバム「カルメン・マキ&OZ」が当時のハードロックでは異例の10万枚超とヒット。75年、ジェフ・ベック・グループとグランド・ファンク・レイルロードの来日公演でサポーティングアクト。77年解散。なお、マキは69年、「時には母のない子のように」が大ヒットし、紅白歌合戦に出場。