立川志らく 年上弟子で医師のらく朝さん追悼「命の恩人」「来世は名人になるんだぞ」

立川志らく
立川らく朝さん=所属事務所提供
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 落語家で医学博士の立川らく朝さんが今月2日に亡くなっていたことが11日、分かった。67歳だった。所属事務所が発表した。今年2月から療養していたという。杏林大学医学部を卒業、慶應大学医学部内科学教室に入局し、主として脂質異常症の臨床と研究に従事。慶應健康相談センター(人間ドック)医長を勤めた。2000年、46才の時に立川志らくに入門し、プロの落語家として活動を開始するという異色の経歴の持ち主だった。

 師匠の立川志らく(57)が追悼の談話を発表した。以下全文。

 

 立川らく朝の訃報を聞いて、いくら年上でも弟子には違いないので師匠より先に逝くやつがあるかと言う思いです。

 らく朝が私の門を叩いた時は現役の医者でした。年も10歳も上。いくらなんでも年上の弟子は困るので断りました。

 しかし落語家になるという若い頃の夢を叶えるには最後のチャンスだというその情熱に押され客分の弟子にしました。

 一年くらい経過して前座修行からきちんとやって本当の落語家になりたいと言ってきたので談志に相談すると面白そうだから弟子にしちまえと。

 ただ前座の雑用仕事は免除してその代わり週に一席、落語を教え、約2年で50席覚え二つ目に昇進。当時は内科医と兼業というスタイルで落語家活動をしておりました。

 やがて真打に昇進して健康落語なる新作をやるようになり、医者も辞めて落語家一本で活動を始め、私の後を追いワタナベエンターテインメントに入りこれからという時の悲劇。残念で仕方ありません。

 実はらく朝は私の弟子でありながら命の恩人でもありました。

 私の体調が悪いのを見抜き、嫌がる私を検査して私がバセドー病である事を発見したのです。

 放っておいたら3年くらいで私は心筋梗塞で倒れていたはずとのこと。また彼の妻がバセドー病の専門医。だから私はらく朝に言いました。

 「お前は俺の命を救うために弟子になったんだなあ」。

 らく朝の訃報は本当に残念です。

 でも落語家になるというのは来世の楽しみのはずが、今生でその夢を叶えることが出来たので素晴らしい人生だったと思っています。「おい、らく朝、来世では名人になるんだぞ!」 立川志らく

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