田村正和さん逝く 芸能界きっての美男スター 「古畑任三郎」国民的大ヒット
芸能界きっての二枚目スターとして、ミステリーの「古畑任三郎」、時代劇の「眠狂四郎」など多くのヒットドラマに主演した俳優の田村正和(たむら・まさかず)さんが4月3日午後4時20分、心不全のため東京都港区の病院で死去していたことが18日、分かった。77歳。京都市出身。葬儀・告別式は親族で行った。喪主は妻和枝(かずえ)さん。
田村さんと2月に電話で話したという関係者によると、体調を崩したり、闘病していたりといった報告はなく、元気な様子だったという。
新型コロナウイルス感染拡大前の2019年11月に会ったのが最後だったが、3カ月に一度のペースで連絡を取り合っていたといい、「全然普通で、元気に話してたんですけどね…。奥さまに先週お会いし、(亡くなったと聞いて)ただただ驚きました」という言葉からは、突然の死だったことがうかがえる。
田村さんは18年のフジテレビ系時代劇「眠狂四郎 The Final」に出演後、引退説が取り沙汰されていた。近況を語るタイプではなかったというが、関係者は「(同作の撮影後に)『やり遂げた』、『やり残したことはないので、もういいかな』というようなことを話してました。もう3年たってますし、やらない気持ちだったんでしょうね」と、晩年の胸中を推し量った。
バンツマの愛称で親しまれた昭和の映画スター・阪東妻三郎さんを父に持つ芸能界のサラブレッド。長兄の故高廣さんと弟の亮(74)も名優として知られる芸能一家だ。遊びに行った高廣さん出演映画の撮影現場でスカウトされてデビューしたが、その現場で高廣さんは「無口というかぶっきらぼうというか」と、兄から見た素顔を明かしている。
クールでニヒルなムードと独特の演技でお茶の間の人気を獲得したのは、1972年に放送されたフジ系「眠狂四郎」。その後もNHK「鳴門秘帖」、フジ系「乾いて候」などで女性ファンを引き付け、「憂愁の貴公子」と呼ばれた。
現代物でも活躍し、83年のTBS系「うちの子にかぎって…」では三枚目を演じて新境地を開拓し大ヒット。86年2月20日のデイリースポーツでは「暗い感じの二枚目ばかりじゃ、進歩がありませんからね」と真意を説明し、「子供が見てるでしょ!」、「パパはニュースキャスター」など数々のコメディードラマに主演した。
映画は07年公開の「ラストラブ」が最後となったが、田村さんは88年にフジ系で放送された「ニューヨーク恋物語」の田島雅之役を気に入っており、映画は20年後の田島をモチーフにしていた。
田村さんは18年2月放送の「眠狂四郎 The Final」を最後に表舞台から姿を消した。19年には女性誌の取材に心臓の手術を受けたことを告白。「やり切ったから」、「もう十分じゃないかな」と、引退を思わせる言葉を残していた。