寺内タケシさん死去 生涯現役貫いた「エレキの神様」 肺炎・82歳
「寺内タケシとブルージーンズ」のリーダーで、「エレキの神様」と呼ばれたギタリストの寺内タケシ(てらうち・たけし、本名武=たけし)さんが、肺炎のため、18日に横浜市内の病院で亡くなっていたことが19日、分かった。82歳。茨城県出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男章(あきら)さん。寺内さんはエレキギターの草分け的存在で、民謡やクラシックもアレンジし、熟練のプレイでファンを魅了していた。
“神様”として生涯現役でエレキサウンドを奏で続けた寺内さんが、天国へと旅立った。関係者によると、今年の春先に誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。療養を経て、転院先でリハビリにも取り組んで順調に回復し、退院間近だったという。だが、18日に容体が急変し、午後8時37分、静かに息を引き取った。
寺内さんは母親が三味線の家元で幼少期から三味線に触れ、5歳からギターも始めた。少年時代に電話のコイルを使って、エレキギターを自作。関東学院大在学中からプロとしてバンド活動を始めた。1962年に「ブルージーンズ」を結成。故加瀬邦彦さんや故内田裕也さんらも一時加入して、エレキブームの立役者となった。
米バンド「ザ・ベンチャーズ」のギタリスト、ノーキー・エドワーズと競演した「日米エレキ大合戦」などがヒット。ベートーベンの交響曲第5番をカバーした「レッツ・ゴー『運命』」では、日本レコード大賞編曲賞を受賞した。海外ファンも多く、レス・ポール、チェット・アトキンスと並んで、「世界三大ギタリスト」に数えられた。
社会活動にも積極的に取り組んだ。74年、非行を助長するとして学校に“エレキ禁止令”が広がったことに抗議してスタートした「ハイスクールコンサート」は40年以上で1500校以上を訪問した。阪神大震災後には自動車関連メーカーと協力し、音響設備を使った避難誘導車を開発。ボランティア活動が認められ、08年に緑綬褒章を受章した。
ラストステージとなった昨年2月23日の神戸・モズライトカフェでの公演では100分間熱演し、生涯現役を貫いた寺内さん。レコーディングした7000曲以上を残して、音楽人生の幕を閉じた。