シルク「非常階段」相方ミヤコさん悼む 96年死去 若きダウンタウンの前で漫才も

 シルク
 亡くなった非常階段・ミヤコさん
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 “よしもとの美容番長”シルクが20日、「実は、元漫才師なんだ」と題してブログを更新。1996年6月19日に亡くなった「非常階段」の相方・ミヤコさんを悼んだ。

 シルクは「昨日は相方で、中学から幼馴染のミヤコさんの命日でございました」と伝え、「肺がんでした。たまたま番組の健康診断で、見つかった時にはもう、ステージ4でした。12月に見つかり、翌年6月19日に天国へ行きました」と振り返った。

 そして、ミヤコさんについて「同じ、中学、高校、大学と進み、実はミヤコさんは、クラスの人気者、私には、高嶺の花的存在だったの。ところが、中学2年で席が隣になって大接近できたの。そこからは、交換日記をしたり、同じ塾に通ったり、仲良しさんでした。成績優秀な彼女は、授業中は超真面目。おかげでわたしも集中して授業を聞くようになり、そしたら成績がグ~ンと上がって親がびっくりしたのよね」と回想した。

 高校、大学でも親交は続き、卒業後についてシルクは英語教師、ミヤコさんは文学座を目指していたという。「あーいよいよ別々の道だ~!!と思っていたら、なんと急に吉本のオーディション受けない?とのお誘いが」と吉本興業入りのきっっかけを明かした。

 “ダメ元”で「おもしろそう」と当時、大阪・なんばのNSCの学校に行くと男性3人がいたという。「『はい、ネタやってみて』といわれて、学園祭などでやっていたコント風ネタをしたら、メガネかけたお兄さんは、にこにこ、若者2人は、クスリともしない。あーあ、、こりゃダメだなとおもっていたら。そのお兄さんが『君ら、素人ぽくてええな。そんな感じでいいわ、この2人中心に劇場作るから、そこに入れへん??』といわれたの」と当時の状況を描写した。

 そして、「その2人とは今のダウンタウンね。松本さん浜田さんで、そのメガネのお兄さんは、今の大崎会長でした」と告白。「今から考えたらダウンタウンや会長の前で、よくも素人がネタを披露したもんだわ!!知らぬが仏とはこのことね。ラッキーも重なってさ」とつづった。

 その後の「非常階段」について、「2丁目ブームに乗り、漫才も劇場に出させてもらえて、ほんとに楽しかったのよね。そのころの夢は漫才大賞を取り、出番のラストを飾ること!!それは誇らしいことなのよ。長い道のりだけど」とコンビ時代に思い描いていた“目標”を打ち明けた。

 シルクは相方について「ミヤコさんはね、だれからも好かれる。。ほんまに天使のような人やったの。人の悪口も言わない、責めない」と人柄を絶賛し、「ベジタリアンで、タバコも吸わなかった、のにね、肺がんになるのね。今でも謎です。そして、今でもさみしいよ。会いたいわ」と思いをつづった。最後に「天国のミヤコさんに、ありがとうね」と言葉を送った。

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