瀬戸内寂聴さん旅立つ 「書く」という業を生きた99歳
「夏の終り」「かの子撩乱」など愛と人間の業を見詰めた小説や人々の心に寄り添う法話で知られ、文化勲章を受章した作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去した。99歳。徳島市出身。葬儀は近親者で行う。後日、東京都内でお別れの会を開く予定。先月から体調不良で入院していたという。
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カメラを向けると、いつも背筋をすっと伸ばし、顔を輝かせた。講演会や法話では聴衆の数が多ければ多いほど興に乗り、艶のある声を出した。そして何より「書く」ことを業のようにして生きた。書く意味を語るとき、瀬戸内寂聴さんはすごみさえ感じさせた。
すべて書いた。20代で夫と娘を捨て愛に走ったことも、男女関係の泥沼や悲痛な別離も、幅広い交友関係の中身も。作家生活50周年のインタビューで「最大の転機は」と問うと「出家です」と即答した。1973年、51歳での出家は“事件”だった。
「文学をやり通すバックボーンが欲しかった。でもね、出家の理由は何千回も聞かれたけれど、本当の理由なんて自分でも分からない。だから出家した昔の人たちのことを書いて考えた。西行、一遍、良寛。この3人を書くために勉強したことで出家後の作品に一本筋が通った」。壁にぶつかったときも、書くことで乗り越えた。
85歳で出版した「秘花」では、世阿弥の晩年の謎に迫った。「苦しみました。だけど書き終えたときの快感ってすごいのよ」。そんな言葉を笑顔で口にした直後、急に真剣な目になる。「書いているうちに何かが憑(つ)くんです。鬼か何かが入ってくる。そうすると、考えないでも筆が動く」
作家の田村俊子や岡本かの子、無政府主義者の伊藤野枝や大逆事件で死刑になった管野須賀子。伝記小説で光を当てたのは情熱と反骨の女性たちだ。それは、瀬戸内さんにも当てはまる。「作家は善良な人間が選ぶ仕事ではない。文学をするということは、反体制なんです」「岐路では、常に危険な方を選んできた」
何十年も前のことでも、悔しさや恨みを語るときには顔をゆがめた。「『花芯』という小説が『ポルノだ』って批判されたのよ。それで5年も干された」「私は長い間、賞に恵まれなかった」
悔しさをばねにしてきた。「花芯」でのバッシングについても「今にみていろという気持ちがエネルギーになった」。
女性に絶大な人気があった。自身が煩悩にのたうち回ったからこそ、悩む人々に共感し、手を差し伸べることができたのだろう。あのちゃめっ気のある温かい笑顔に、もう会えない。