竹本浩三氏死去 89歳、老衰で、吉本新喜劇生みの親
吉本新喜劇の基礎を築き、漫才コンビ・コメディNo.1を育てた演出家で脚本家の竹本浩三氏が老衰のために18日に大阪市内の自宅で亡くなったことが24日、分かった。89歳。和歌山市出身。通夜・告別式は大阪市内で家族葬で執り行った。
竹本氏は1933(昭和8)年、和歌山市生まれ。豪放磊落で面倒見のいい人柄から「先生、先生」と周囲に慕われた。長男で大阪市内の寿司店に勤務する周平氏(44)によると、18日朝の段階では竹本氏は呼吸をしていたが、午後には冷たくなっていたという。かねて心臓が弱く、不整脈の薬を服用していた。周平氏は「父は病院が嫌いで自宅にいることを望んだ。私以外の誰かに世話をされるのも嫌がっていた。おそらく苦しまなかったと思う」と話した。
竹本氏は劇団くるみ座、東宝株式会社文芸部などをへて1959年から吉本興業に加わり、新喜劇の作・演出を手がけて基礎を築いた。また、コメディーNo.1が72年に発表したレコード「アホの坂田」の作詞を務め、コンビの人気を決定づけた。
口癖は「年なんか関係無いっ!」。家族にもなかなか生年月日を明かさなかった。弟子で作家の砂川一茂氏(62)は「厳しいけれども優しい人だった」と、しのんだ。
演出はお笑いだけではなく多岐にわたり、文楽、ミュージカル、ジャズオーケストラなどにも及んだ。また、昭和の人気番組「爆笑寄席」、「パンチDEデート」の構成も手掛けた。
吉本興業文芸顧問を務め、デイリースポーツで「吉本の語りべ 竹本浩三の上方演芸史」を長期連載した。また帝京平成大学教授、帝塚山大学教授、大阪市「上方芸能文化顕彰」選考委員を務めた。著書に「よしもと笑いのDNA」(神戸新聞総合出版センター)、「オモロイやつら」(文藝春秋)など。