藤子不二雄(A)さん死去 25日にゴルフコンペ参加予定だった 「オバQ」「笑ゥせぇるすまん」
「オバケのQ太郎」や「忍者ハットリくん」「笑ゥせぇるすまん」などの作品で知られ、日本を代表する人気漫画家の藤子不二雄(A)(ふじこ・ふじお・えー、本名安孫子素雄=あびこ・もとお)さんが川崎市の自宅で死去したことが7日、分かった。88歳。神奈川県警によると、7日午前、川崎市内の自宅で1人で倒れていると通報があり、その後、死亡が確認された。戦後の高度成長期から数々の国民的人気作を手掛けてきた巨匠。最近まで趣味のゴルフを楽しむなど元気な姿を見せていたが、突然の旅立ちとなった。
数多くの国民的人気作を手掛けてきた巨匠が、天国へと旅立った。神奈川県警によると、藤子(A)さんは、7日午前8時40分ごろ自宅で1人で倒れていると通報があり、その後、死亡が確認された。
藤子(A)さんの自宅には、ゴルフ仲間の田中菊雄さん(87)が弔問。田中さんによると3月中旬にも一緒にゴルフを楽しみ、今月25日にはゴルフコンペに参加する予定だったという。藤子(A)さんは3月初旬から体調不良を訴えていたというが、田中さんは「腰が痛いとかその程度で、大きなご病気ではなかった」と明かした。
かつては15、16日連続でゴルフをするほど愛していた藤子(A)さん。腕前については「『プロゴルファー猿』はあんな豪快なスイングなのに、なぜ先生は(スイング)小さいんだ」と言われるほど癖のあるスイングだったという。また、「ゴルフに勝る健康管理はない」と豪語していたといい、15年に心不全になった際にも「回復がこんなに早いの初めてだと医者に言われた」と口にしていたという。
藤子(A)さんは小学校で出会った藤子・F・不二雄(本名藤本弘)さん=96年死去=と共に、手塚治虫さんに憧れて漫画家を目指し、54年に上京。「藤子不二雄」の共同ペンネームを使って二人三脚で創作、64年に「週刊少年サンデー」で連載を始めた「オバケのQ太郎」が大ヒットした。
その後も藤子(A)さんが「忍者ハットリくん」「怪物くん」を、藤子Fさんが「ドラえもん」をそれぞれ手掛け、2人で人気漫画家として不動の地位を築いた。その他にも「笑ゥせぇるすまん」「魔太郎がくる!!」など人間の欲望や心の闇をテーマにした作品や「プロゴルファー猿」や自伝的漫画「まんが道」などを手掛けた。
藤子Fさんとのコンビを87年に解消した後も創作活動を続けてきたが、15年11月に月刊漫画誌「ジャンプSQ.(スクエア)」(集英社)で連載中の「PARマンの情熱的な日々」の休載を発表。「このところバテテきて、続けられなくなりました。元気が出るまで残念ながら休ませて下さい」と直筆でメッセージをつづっていた。
◆藤子不二雄(A)(ふじこ・ふじお えー=本名・安孫子素雄=あびこ・もとお)1934年3月10日生まれ。富山県氷見町(現氷見市)出身。小学校で出会った藤子・F・不二雄(本名・藤本弘、96年死去)氏とともに51年「毎日小学生新聞」でデビュー。その後54年に上京し、「藤子不二雄」の共同ペンネームで「オバケのQ太郎」「忍者ハットリくん」など多くの作品を手掛けた。藤本氏とのコンビは87年に解消、藤子不二雄(A)を名乗って創作活動を続け、「笑ゥせぇるすまん」などのヒット作を生んだ。05年日本漫画家協会賞文部科学大臣賞受賞。08年旭日小綬章受章。