ダイアモンド・ユカイ「嫌いだった」父は自身の腕の中で死去していた
ロック歌手のダイアモンド・ユカイが、18日深夜にフジテレビで放送された「哀愁のど自慢 泣かないで…」に出演し、父の田所晃さんをみとった瞬間を振り返った。
晃さんは、ユカイが22歳の時、1985年3月に亡くなった。ユカイは「おれさ、おやじと確執あってさ。こどものころからおやじ嫌いだったのよ」と決して良好な関係ではなかったと語った。「無口で神経質で病弱」だったとし、「毎朝、毎朝、早く起きて、同じ。7時に帰ってくるわけ。毎日、毎日それの繰り返し。『つまんない人生だなぁ』って思って」と嫌悪感があったとした。
自身は「ロックで楽しさを知っちゃった、人生の」と説明。晃さんからは「音楽は食っていけないものだから、まじめな仕事に就いて趣味でやってよ」と諭されていたことも明かした。しかし、父の言葉は受け入れず、85年にはロックバンド・RED WARRIORSを結成し、音楽の道にのめり込んでいった。
ユカイは、RED WARRIORSのライブ「4日ほど前」の出来事を告白。「かんかん照りの日だったんだけど、『なんで雨戸を閉めないんだ』って言われて。見えなくなってたんだね」と振り返った。晃さんはユカイと二言、三言会話した後に倒れた。ユカイが寝かせると「のどが渇いた」と言い、ユカイが水を飲ませた後に寝たという。
その後、仕事をしていた母親が早めに帰宅し、寝ている晃さんを見て「おかしいんじゃない」と気づいた。ユカイは「『えっ』って見たら、もう死んでたんだよね」と明かした。「多分、おれが水をあげた時に寝たのは、死んでたんだよね。おれの手の中で死んでたんだよ」と自覚せずに晃さんをみとっていたと告白した。
RED WARRIORSは翌86年にメジャーデビューしたが、晃さんはスポットライトを浴びるユカイの姿を見ることはかなわなかった。現在、妻と別居し双子の息子のために家事もこなしているユカイは「おれが『つまんない男だな』と思っていたあのおやじの人生、おれのためだったんじゃないのかな。だからおれも、そうありたい」と優しくほほ笑んだ。
ユカイはギターの弾き語りで、父にささげる自身の楽曲「夕暮れ」を披露。「かけがえのない曲だね」と照れ笑いを見せた。