「横浜銀蝿」嵐ヨシユキさん 死去 67歳“ツッパリ”ロックバンド支えたリーダー

 ドラムを演奏する嵐さん
 1980年代の横浜銀蝿(左から2人目が嵐さん) 
2枚

 ロックバンド「T.C.R横浜銀蝿R.S」のリーダーでドラマーの嵐ヨシユキ(らん・よしゆき、本名田宮淑行=たみや・よしゆき)さんが4日午前10時46分、肺炎のため川崎市内の病院で死去していたことが11日、分かった。67歳。横浜市出身。かねて療養中で、6月から入院していた。葬儀は遺族の意向で、限られた近親者で10日に行った。

 メンバーのTAKU(61)は「一緒に可愛いおじいちゃんをめざせるかなとか思ってましたが、嵐さんは、全然可愛くないおじいちゃんのままいきなり旅立ってしまいました」と、嵐さんの早すぎる死を惜しんだ。

 2020年、40周年を迎えた横浜銀蝿はオリジナルメンバーで復活し、21年末まで活動した。Johnny(64)によれば、嵐さんは透析を受けながらも「ほぼ全ステージ、ドラムに座り楽しそうに音楽を奏で」たという。Johnnyは「しんどさは想像を絶するはずですが、いつもだいじょうぶ、大丈夫と言って、決して泣き言は言いませんでした」と振り返った。

 嵐さんは実弟・翔(64)、Johnny、TAKUとの横浜銀蝿で1980年にデビュー。革ジャンに白いドカンズボンのツッパリスタイルと、軽快なロックンロールにユーモラスな歌詞を載せた「ツッパリHigh School Rock’n Roll」シリーズなどの大ヒット曲で一世を風靡(ふうび)した。83年大みそかに一度解散したが、何度か再結成した。

 プロデュース手腕にも優れ、杉本哲太がメンバーだった紅麗威甦、嶋大輔、岩井小百合ら“銀蝿一家”をスターに育てた。

 01年の参院選に自由連合から立候補したが落選。04年には脳梗塞で入院し、手術も受けたが、6年のリハビリを経て10年に復帰した。右手足に後遺症が残ったが、ライブ、音楽制作、マネジメントを続けた。

 最後のライブ出演は4月17日に横浜市内で行われた「再起動!T.C.R横浜銀蠅R.S~Get BACK 2022~」(嵐67生誕祭)。弟の翔は「まだまだ一緒にステージでロックンロールしたかった」と悲しみつつも、「約束通り 生涯現役 貫いたね」と不屈の兄をたたえた。

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