歌手・山本コウタローさん死去 「走れコウタロー」大ヒット 参院選出馬など多彩に活動
ヒット曲「走れコウタロー」などで知られる歌手で白鴎大名誉教授の山本コウタロー(やまもと・こうたろー、本名厚太郎=こうたろう)さんが4日未明、脳内出血のため東京都の自宅で死去したことが15日、分かった。73歳。葬儀は近親者で行った。1970年に、所属したバンド「ソルティー・シュガー」の楽曲「走れコウタロー」が大ヒットするなど、歌手として注目を集める一方、参院選出馬や、白鴎大学野球部部長を務めるなど多彩に活動した。
歌手だけにとどまらず、地球環境、平和問題など多彩な活動を続けてきた山本さんが帰らぬ人となった。
公式サイトによると「体調不良のため静養中」だったといい、葬儀などは「故人の遺志により近親者のみで執り行いましたことを謹んでご報告申し上げます」と記された。大のヤクルトファンだった山本さんは、体調が悪い中、今季も神宮球場に何度も応援に訪れていたという。
一橋大在学中の1970年、所属したバンド「ソルティー・シュガー」の楽曲「走れコウタロー」が大ヒット、レコード大賞新人賞を受賞した。74年には「山本コウタローとウィークエンド」で発表した「岬めぐり」も大きな注目を集めた。「走れ-」は累計60万超え、「岬-」は同40万超え(オリコン調べ)と長く愛される楽曲となった。特に「-コウタロー」は、一部歌詞を変えた「走れマキバオー」に派生するなど、競馬関連の楽曲としても親しまれている。
75年には同世代のシンガーである吉田拓郎、南こうせつらの「かぐや姫」の「つま恋コンサート」に出演。核兵器のない平和な世界を願い、南らと「広島ピースコンサート」を続けた。88年には原爆養護老人ホーム設立のため、コンサートの収益金約7千万円を同市に寄付。同ホームへの慰問コンサートなど、核廃絶を訴える活動はライフワークとなっていた。
さらに環境問題にも関心を寄せ、89年にはミニ政党「ちきゅうクラブ」を結成し、参院選に立候補。落選したものの、大きな関心を集めた。芸能活動も精力的に続け、テレビの情報番組の司会やコメンテーターを務めたほか、TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」にも出演した。
87年から白鴎大で教壇に立ち、99年に教授となり、積極的に学生たちと交わり、19年に退職し、名誉教授となっていた。社会問題に深い関心を持ち、老若男女問わずメッセージを送ってきた山本さん。あまりにも早い旅立ちとなった。
◆山本コウタロー(やまもと・こうたろう=本名・厚太郎)1948年9月7日生まれ。東京都出身。一橋大学卒業。在学中にソルティー・シュガーの「走れコウタロー」が大ヒット、日本レコード大賞・新人賞を受賞。卒業翌年には「山本コウタローとウィークエンド」の「岬めぐり」も大ヒットに。05年にデビュー35周年を迎え「ほぼウィークエンド」で音楽活動再開。07年に「心のままに」、08年にアルバム「海」を発売。地球環境問題、平和問題、自然農法にも取り組んだ。