ゴルバチョフ元ソ連大統領 日本でも人気だった 91年に来日「ゴルビー旋風」巻き起こす
旧ソ連末期に硬直した共産党独裁体制を立て直す「ペレストロイカ(改革)」を推進、東西冷戦を終結に導きノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、入院先のモスクワ市内の病院で死去した。
ゴルバチョフ氏はソ連大統領当時の91年4月にソ連最高指導者として初来日し「ゴルビー旋風」を巻き起こした。海部俊樹首相との首脳会談は3日間で6回、計12時間以上に及び、署名した日ソ共同声明は領土問題の存在を認め北方四島名を初めて明記。市民の間では同氏への人気と関心が一気に高まった。
滞在中、都内では専用車を突然止めて人混みに向かって歩き出すハプニングも。「平和になるように頑張ってください」と手紙を書き、返事をもらった名古屋市の女子高生は新幹線の窓越しに対面、夢をかなえた。
初来日時には夫妻で長崎市を訪れ、平和祈念像の前に献花。92年4月には夫妻で広島市を訪問し、原爆資料館で「私たちは原子爆弾の犠牲者のことを決して忘れてはなりません」と記帳した。01年11月には沖縄県を訪れ、当時那覇市長だった故翁長雄志前県知事との交流が続いた。
大津市の不動産会社社長小山宣也さん(53)は、父宣一さん(73)が約20年前にロシアで知り合いとなり、親子で交流を重ねた。「日本はきれいな場所。小山さんの所には何がある」との質問に宣一さんが「琵琶湖」と返すと、ゴルバチョフ氏は「釣りをしよう」と呼びかけた。
数年後に大阪で琵琶湖産のアユのつくだ煮を贈ると「貴重なお土産をありがとう。いつ釣りするんだ?」と笑顔を見せ、宣一さんを驚かせたという。