七代目円生襲名へ最後まで薄れなかった執念 渡邉寧久氏が円楽さん悼む

 日本テレビ系の演芸番組「笑点」などで人気を博した落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名会泰通=あい・やすみち)さんが9月30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。1977年から「笑点」にレギュラー出演し、毒舌キャラでお茶の間の人気者となった。大名跡である円生の襲名はかなわず、師匠である五代目円楽さん、名コンビだった桂歌丸さんのもとへと旅立った。演芸評論家・渡邉寧久氏が悼んだ。

  ◇  ◇

 ひとりの落語家の死ではない。落語界は、大名跡である三遊亭円生の七代目襲名の最適格者を失ったのである。当面、円生の空位は続く。それが円楽師匠の死が意味する“演芸的損失”である。

 円楽師匠は生前、円生を襲名したいという意欲を公言していた。8月11日、東京・国立演芸場で行われた脳梗塞闘病からの復帰高座。終了後の囲み取材で、「円生襲名について今、どんなお考えですか?」と質問してみた。患ったことで、多少意欲が目減りしているかなと思ったからだ。

 「つなぎでもいい。どさくさでもいい。この人は!という人が出てくるまでつないでおきたい。三遊(亭)一門で後を継ぐ名前は円生しかない。三遊本流は円生一門」

 その答えから感じたのは、五代目円楽一門こそが円生の流れをくむ本流であり、円生襲名の資格者である、という強烈な矜恃。かすれた声だったが、襲名に対する執念は1ミリも薄れていなかった。

 以前、円楽師匠に、先代の円楽(五代目三遊亭円楽)に託されたことを教えてもらったことがある。円生作りと一門の取りまとめという宿題。その重い荷物を背負って、円楽師匠は生き抜いた。

 「名人上手にはなれないし、なりたいとは思わない。自分の目標は、名人ではなく達人。どんな落語会に出ても、必ず合格点を取る。それが自分の役目かなと思う」

 その通り日本中の落語会の主催者から声がかかり、観客に愛される落語の顔になった。

 演者として笑いを取る一方で、東京や大阪の落語家をごちゃまぜに顔付けし、「博多天神落語まつり」「さっぽろ落語まつり」「江戸東京落語まつり」を立ち上げるという、演芸プロデューサーとしての外交力も発揮した。

 5年後か10年後か、いずれは円生襲名の適格者が名乗りを上げることだろう。そのときはぜひ、当該は八代目、円楽師匠を七代目として追贈してほしいと切に願う。

 七代目襲名に立ち会うことができたら師匠、こう呼びかけますね。「円楽師匠、もって瞑(めい)すべし」と。(演芸評論家)

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