三遊亭円楽さん急逝 軽度の肺炎で入院、快方に向かっていた矢先 円生襲名かなわず

 死去したことが分かった三遊亭円楽さん=2017年
 8月11日、車いすで復帰会見に臨む三遊亭円楽さん
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 日本テレビ系の演芸番組「笑点」などで人気を博した落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名会泰通=あい・やすみち)さんが9月30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。1977年から「笑点」にレギュラー出演し、毒舌キャラでお茶の間の人気者となった。大名跡である円生の襲名はかなわず、師匠である五代目円楽さん、名コンビだった桂歌丸さんのもとへと旅立った。葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会を開く予定。

 「みっともなくてもいいから、死ぬまでやります」。

 8月11日、東京・国立演芸場、1月末に脳梗塞を発症してから約7カ月ぶりとなる高座で涙ながらに宣言した円楽さん。8月中席公演をやりきって、眠りについた。最後の高座となった20日の千秋楽に出演後、26日に息苦しさを感じて検査を受け、軽度の肺炎が判明。入院して快方に向かい、肺がんの治療を再開した直後の、突然の旅立ちだった。

 円楽さんと電話していた関係者によると、約1カ月前の入院直後は普通に話せていたが、約2週間前の電話では徐々に弱っている印象を受けたという。それでも「90歳まで落語をやろう」と声を掛けると、円楽さんは「分かった。そうだ」と意欲。死去する前日の9月29日までは、元気な様子だったという。

 1970年、五代目円楽さんに入門し、師匠の師匠である名人の六代目円生さんが命名した楽太郎として活動。77年に「笑点」大喜利メンバーとなり、公私ともに慕っていた歌丸さんとの、大喜利での毒舌バトルが番組の目玉に。歌丸さんや後継の春風亭昇太の司会の座を狙う、腹黒で友達のいないキャラクターで人気を博した。

 81年に真打ちに昇進し、2010年に六代目円楽を襲名。78年に円生さんに従って落語協会を脱退した後は都内の寄席定席に出演できなかったが、歌丸さんの仲立ちで17年、落語芸術協会に客員として入会。晩年は18年に肺がん、19年に脳腫瘍、今年の脳梗塞と、病と戦いながら満身創痍(そうい)で高座に上がり、落語界の交流や統一を訴え続けた。

 79年に六代目円生さんが死去してから空席が続く「円生」への襲名意欲を、たびたび口にしていた。楽太郎時代、北関東の寺に墓を建立。10年代半ばには曹洞(そうとう)宗の得度式を行い、僧侶名は本名と円生さんを合わせた「泰通圓生」で、これが戒名になるとみられる。

 強い思いはかなわなかったが、今頃は円生さんや先代円楽さん、歌丸さんに天国でねぎらわれているはずだ。

 ◆三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)1950年2月8日生まれ、東京都出身。70年、青山学院大在学中に五代目三遊亭円楽に入門。三遊亭楽太郎を名乗る。76年、二ツ目昇進。77年、「笑点」レギュラーに。81年、真打昇進。2010年3月、六代目円楽を襲名。07年から「博多・天神落語まつり」、19年から「さっぽろ落語まつり」のプロデューサーを務める。長男は声優の会一太郎(落語家名は三遊亭一太郎)。

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