古舘伊知郎 猪木さん「死に顔きれいでした」自宅弔問後にYouTubeで語る
元テレビ朝日アナウンサーで、新日本プロレスの実況を長年務めたタレントの古舘伊知郎(67)が1日、YouTubeチャンネルで、この日、心不全のため79歳で死去した元プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木さんを追悼した。
この日、訃報に接し、都内の自宅を訪れた古舘は「死に顔きれいでしたよ。ここ数年の猪木さんの苦しみを時折、定期的にお見舞いに行ったりして見て来たので、猪木さん、楽になったねと本当に思いました。どこまで続くんだ、この苦しみはという感じだったので。昔の猪木さんの顔に出会えたような、きれいな顔をして、たたずんでいました」と話した。
「しばし休んで下さい。しばしですよ。闘魂というのは輪廻すると思っている。猪木寛至の肉体は死んでも、アントニオ猪木の闘魂は誰かに何らかの形で受け継がれる。だから、しばしだけ休んで下さい、そういうふうに話しかけさせてもらいました」と亡きがらの額に手をあてて「ありがとうございました」と感謝したという。
9月25、26日に猪木さんから電話があったという。もう声も出る状態ではなかったが、月曜に話すと「いつ来る?」と言うので「あした行きます!」と答えると「食べるものないよ」と猪木さん。人生の最後まで、ファンを楽しませるサービス精神にあふれた人物像を表現した。
27日に自宅を訪ねると、猪木さんは非常に体調が悪そうで、寝た状態。その横で、猪木さんの波瀾万丈の人生を振り返ると、猪木さんは「バカの一本道」と自らの人生にタイトルをつけたという。
古舘は「猪木さんのおかげで今のボクはあるわけですし、感謝の二文字しかない。リングを降りても猪木さんは引退してなかった」「これをもって、今生で戦いが終わっただけなんだな」と話し、「とっても寂しい。猪木さんのいない世界ですよ」と切なげだった。
なくなる前日に猪木さんを見舞った人から聞いた話として、「前日だけ体調がよくなり、ぶどうを一粒食べた。けれど2粒目が入らなかったそうです。復調した一瞬に、娘の寛子ちゃんから電話があり、それを切ったあと『寛子と話ができてよかった。お別れした』と打ち明けたそう」と語った。
古舘は1977年にテレ朝に入社。同年8月から87年まで、新日本プロレスの中継番組「ワールドプロレスリング」の実況を務め、プロレスブームを盛り上げた。
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