「血と骨」崔洋一さん死去 73歳、ぼうこうがん 4月にイベントで創作意欲語るも
「月はどっちに出ている」「血と骨」などの作品で知られる映画監督、崔洋一さんが27日午前1時、ぼうこうがんのため東京都内の自宅で死去した。喪主は妻青木映子さん。後日、お別れの会を開く。
12日に死去した大森一樹さんに続き、日本映画の顔が早すぎる旅立ちを迎えた。
崔さんは在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれた。助監督として大島渚監督、若松孝二監督に師事。大島監督の「愛のコリーダ」ではチーフ助監督を務めた。松田優作さんの作品にも多数参加し、親交を結んだ。
83年、内田裕也さん主演の「十階のモスキート」で映画監督としてデビュー。妻に見捨てられ、賭博におぼれ、犯罪者に転落していく警察官の姿を描いて注目を浴びた。
在日コリアンとフィリピン女性の恋愛を描いた「月はどっちに出ている」でブルーリボン賞作品賞など映画賞を総なめにし、ビートたけし主演の「血と骨」(04年)で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞するなど日本映画界をけん引。
沖縄が舞台の「友よ、静かに瞑れ」「Aサインデイズ」「豚の報い」、韓国映画「ス」などアジア志向が強く、「マークスの山」などの犯罪映画も含め、近代合理主義からはみ出した人々の姿を描いてきた。98年のデイリースポーツのインタビューでは80年代の終わりから「アジアと日本との関係、日本に住む自分、自分とアジアとの関わりを考え出した」と語っている。
論客としても知られ、コメンテーターとしても活躍。2004~22年には日本映画監督協会理事長として業界のリーダー、スポークスマン役を担った。
1月12日にぼうこうがんを公表。「映画監督としても監督協会の理事長としても、ぜひ、これはやりたいという仕事が幾つかある」と述べ、4月に出演した闘病と映画を語るイベント「ラスト・ショー」でも「創作意欲はありますね。自分にできそうなことを考えます」と前向きな姿勢は変わらなかった。6月にも自作を語るネット番組に出演したが、監督としての復帰はならなかった。
◇崔洋一(さい・よういち)1949年7月6日生まれ、長野県佐久市出身。父は在日コリアン、母は日本人。68年、東京朝鮮高校卒。東京綜合写真専門学校中退。71年から大島渚監督、村川透監督らの助監督を務め、81年、ドラマ「プロハンター」で監督デビュー。83年、「十階のモスキート」で映画監督デビュー。93年、映画「月はどっちに出ている」で映画賞を総なめに。96年、語学と日韓映画研究のため韓国に留学。2004年、日本映画監督協会理事長に就任。血液型AB。