映画監督・吉田喜重さん急逝 国内外で評価 妻・岡田茉莉子は号泣「あまりに突然」
映画「エロス+虐殺」「戒厳令」などで知られ、国内外で高く評価された映画監督の吉田喜重(よしだ・よししげ)さんが8日午前8時33分、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去した。89歳。福井市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻の女優・岡田茉莉子(おかだ・まりこ=89)。岡田は9日、デイリースポーツの取材に、58年連れ添った夫を突然失った心中を涙ながらに明かし「あまりに突然のことで、気持ちの整理もついていない」と話した。
岡田によると、吉田さんは8日の明け方に「胸が痛い」と訴え、救急車で病院に搬送された。車内で肺炎の症状だと言われたが、病室に行く前に亡くなったという。岡田は「本当に突然で…。最後の会話らしい会話もできずに亡くなりました」と、突然に訪れた別れを振り返った。
吉田さんは東大仏文学科卒業後、松竹大船撮影所に入社して助監督になり、60年に「ろくでなし」で監督デビュー。先鋭的な作品群で大島渚監督、篠田正浩監督らとともに「松竹ヌーベルバーグ」と称された。終戦を経て、簡単に心変わりする男性主人公に社会を重ねた「秋津温泉」は初期の代表作。大先輩・小津安二郎作品を痛烈に批判した武勇伝もあるが、小津の優れた理解者でもあった。
64年、「秋津温泉」を企画・主演した岡田と結婚。松竹退社後、66年に現代映画社を設立し、無政府主義者・大杉栄の日陰茶屋事件を描いた「エロス+虐殺」、「煉獄エロイカ」、革命家・北一輝と二・二六事件を描いた「戒厳令」と、近現代の日本政治を批判した3部作を発表。この時代は、前衛的で難解な作風で知られた。
13年ぶりの長編劇映画「人間の約束」では高齢化社会の問題を主題に据え、自ら最後の映画とした「鏡の女たち」では、広島の原爆をテーマに選んだ。
岡田は「本当に天才肌のような人でしたね。私は素晴らしい人を見つけたと、誇りを持っています」と夫への長く変わらぬ敬愛の思いを明かし、「そんな誇りを私は失ってしまいましたので、これからどうなってしまうのか、どうしようかと思って…」と絶句。電話口で号泣した。
◆吉田喜重(よしだ・よししげ)1933年生まれ、福井県出身。55年、東大仏文学科卒業後、松竹大船撮影所に入社。60年、映画「ろくでなし」で監督デビュー。64年、岡田茉莉子と結婚。66年、現代映画社を設立。「人間の約束」(86年)で芸術選奨文部大臣賞。2002年、「鏡の女たち」がカンヌ国際映画祭特別招待作品。90年に仏リヨンのオペラ座で「蝶々夫人」の演出を担当するなど文化交流に貢献したとして、03年に仏政府から芸術文芸勲章オフィシエ章。著書「小津安二郎の反映画」では芸術選奨文部大臣賞、仏映画批評家協会賞。