佐藤蛾次郎さん死去 兄貴分・渥美清さんのもとへ 「源公」として愛された昭和の名脇役 78歳
国民的人気を誇った映画シリーズ「男はつらいよ」の源公役などで知られる、俳優の佐藤蛾次郎(さとう・がじろう、本名忠和=ただかず)さんが10日までに、虚血性心不全のため都内の自宅で死去していたことが12日、分かった。78歳。大阪府出身。葬儀は近親者で行った。喪主は長男で俳優の佐藤亮太(49)。後日、お別れの会を予定している。シリーズを支えた名脇役の訃報に、寅さんファミリーから悲しみの声が相次いだ。
半世紀以上にわたって「源公」として愛された昭和の名脇役が、公私の兄貴分だった渥美清さんのもとへと旅立った。
警視庁などによると、10日午前10時過ぎ、1人暮らしする佐藤さんの自宅を訪れた亮太が、風呂に入った状態で動かなくなっているのを発見し通報。直後に現場で死亡が確認されたという。
亮太は取材に、診断書では9日の時点で亡くなっていたことを明かした。亮太ら家族が、インスリン注射を打つのが日課ではあったが、「全然、元気だったんです。9日に行って『これから舞台の稽古に行ってくるね』と別れたのが最後になってしまった」と突然の旅立ちに声を落とした。
佐藤さんは53年に大阪の児童劇団に入団し、子役として活躍。61年のドラマ「神州天馬侠」で泣き虫蛾次郎役を演じて本名から改名。代表作の「男はつらいよ」には68年のテレビ版を経て、翌年から映画にも出演。題経寺の寺男で、車寅次郎の弟分・源吉という、どこか抜けている男を演じ、お茶の間から愛された。他にも多数の映画やドラマに出演し、20年の映画「罪の声」にも出演していた。
東京進出のきっかけは、寅さんシリーズの山田洋次監督。大阪弁の俳優を求めて、監督は東京から佐藤さんの事務所に足を運んだ。佐藤さんはミナミで遊んで大幅に遅刻し、タメ口をきくなどやりたい放題だったが採用された。「吹けば飛ぶよな男だが」(68年)で山田作品に初出演、高評価を受けて松竹と契約し上京した。
佐藤さんは「人間の縁って不思議なもんや」と山田監督との出会いを述懐。寅さんファミリーこと「山田組」は「もう一つの家族」と表現するほど佐藤さんにとって大事な存在だった。
恋女房だった元女優の和子さんを16年に多発性骨髄腫のため68歳で亡くした。「僕らが想像する以上に寂しかったと思います。仲が良かったですから」と亮太さん。寅さんだけでなく、43年間連れ添った和子さんとも、天国で再会を果たしただろうか。
◆佐藤蛾次郎(さとう・がじろう)1944年8月9日、大阪府出身。9歳で大阪朝日放送児童劇団に入団し、61年のドラマ「神州天馬侠」の役名から「蛾次郎」を芸名に。68年に映画「吹けば飛ぶよな男だが」で山田洋次監督と出会い、「男はつらいよ」シリーズ49作品で寺男・源吉役を演じた。映画「人間の証明」「おとうと」、ドラマ「天皇の料理番」「JIN-仁-」「後妻業」などに出演。バイプレーヤーとして活躍した。