【山田美保子のミホコは見ていた!】水木一郎さん、ファンを魅了した理由

 水木一郎さんの訃報は、公にされる少し前、長年、水木さんと親交があったタレント、なべやかんからのLINEで知った。

 「アニソン歌手だということに常に誇りをもたれていた方でした。水木さんは『マジンガーZ』に助けられたといつも言っておられました」と、やかんは振り返る。

 今でこそ、アニメやコミックは「日本の文化」の代表的存在であり、そのクオリティの高さや使用される音楽は世界から認められているが、まだそこまでではなかった時代からアニソンの地位向上に貢献し、牽引してきた第一人者こそ水木一郎さんである。

 歌番組のみならず、バラエティ番組からのオファーも快く引き受けてこられた水木さんが1999年に開催した「24時間1000曲ライブ」は伝説の一つになっている。実はこのとき、万が一、水木さんが歌えなくなった場合にと、他に人気アニソン歌手がスタンバイしていたそうなのだ。が、最後まで一人で、ひたすら歌いっぱなしだったにもかかわらず、水木さん曰く、歌っている間に、どんどん声が出るようになったというのである。点滴を用意させたり、ハァハァやってみせたりしたのは、“演出”だったというわけだ。

 そんな水木さんの生歌を間近で聴かせてもらったことがある私。中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」を、メ~テレ(名古屋テレビ放送)の朝ワイド「ドデスカ!」のスタジオで水木さんが披露してくれたのだ。

 その力強くて艶のある歌声はもちろんだが、スタジオ入りから出られるまで、ずっと腰が低く、しかも明るくてサービス精神旺盛で、本番終了後、写真撮影にも応じてくださった。

 その際、気にしていらしたのが、トレードマークの“風にたなびく赤マフラー”の張り具合と前髪。その話を、なべやかんにしたところ、「そうですよ、水木さんは一緒に飲みに行った店で、お客さんたちからツーショット写真を頼まれると、どんなにヘベレケになっていても『前髪、大丈夫?』と聞いてきましたから」と。チャーミングなお人柄でもあったのだ。アニソン界のアニキ、水木一郎さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。

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