【中村竜太郎のタイガー&ドラゴン】バブルの最先端だった空間プロデューサーは今・・・

 「バブル期のヒエラルキーの頂点は空間プロデューサーです」とマツコ・デラックスが「時代…マツコ」(日本テレビ)で語ったように、当時最先端の流行を生み出し、芸能人以上に華やかだったのがディスコやカフェバーをつくる“空間プロデューサー”だった。その代表格である梅田俊明氏さんと山本コテツさんにバンコクで会ってきた。

 筆者が10代の頃からお二人には可愛がってもらい、40年来の親交になるが、雑談すると、かつて勢いのあった東京のキラキラした思い出話に花が咲く。梅田さんは六本木「玉椿」時代から近藤真彦や中森明菜、尾崎豊、吉川晃司、とんねるずなど芸能人と昵懇で、「梅ちゃん知らない遊び人はもぐり」と言われた。厳しい入店チェックでも「梅ちゃんいる?」が“顔パス”の合言葉だった。飯倉片町「プレステージ」のオーナー時代に梅田さんは「私の知り合いじゃないとNGの、有名人が集まる店だったので、フライデーのカメラマンが店の前でずっと張っていた。だから吉川と一緒に蹴散らしたこともあった」。同店はジョイパックの林さん、田辺エージェンシーの田辺さん、バーニングの周防さんも出資していたという。特に周防さんは毎日のように来店していた。懐かしい話だ。

 梅田さんがすごいのはその後ニューヨークに渡り、88年に伝説のクラブ「MARS」をつくり大成功させたこと。スタジオ54、ダンステリア、トンネル、パラディウムの流れでシーンを牽引したルドルフと共同経営。食肉市場跡の巨大倉庫を丸ごと使い、一晩で数千人の客が集まった。今でこそそのエリアはトレンドスポットだが、「当時は危険な場所で客は絶対来ないと言われたけど、蓋を開けたらバカ当たりした」。梅田さんはトランプタワーに住み、運転手付きのリムジンで通勤するというアメリカン・ドリームの体現者となった。その梅田さんがなぜバンコクに?

 「ニューヨークの美術学校へ留学していたタイ人の妻と知り合い、交際を機にこっちに来て、もう20数年。タイで商業複合施設をつくって経営したり、初めて中国で大規模なミスコンテストをプロデュースしたりもして、今は人材派遣や不動産業を中心にやっています」

 日本に比べ中国や東南アジアの勢いはすごい。そのバブルに巧みに乗っているエネルギッシュな梅田さん。やはり常人ではないポジティブなパワーを感じてしまうのである。

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